「殺人ドライバー」沼沢章。副題は「くるま社会ニッポンのタブー」
昨日、都議選における都民ファーストの戦いを賞賛したところ、直後にとんでもないニュースが発表された。
なんと、板橋区において当選した木下富美子都議が、交通事故を起こしており、しかも免許停止期間中すなわち無免許運転だったというのである。
当然ながら都民の怒りは凄まじく、また都民ファーストの会も昨日「事実関係を確認中の党員資格停止」本日「除名処分」を発表した。
この木下都議であるが、本日現在で議員を辞職する考えはないようである。
ふてぶてしい限りであるが、実は、なんでこの人がこういう考え方をするのか?について、実は本書が回答をくれるかもしれないと思って取り上げる。
小泉内閣時代に発刊された本で、すでに絶版だと思うが、内容はいまだに色あせていない。
本書が画期的だったのは、「全国交通事故遺族の会」に協力を得て、加害者に関する情報提供アンケートを取ったことなのである。
被害者遺族であっても、加害者に関する情報がすべて警察から教えてもらえるわけではないのだが、それでも、同情した警察官からかなりのことを教えてもらえるケースがままあるのである。
このようなデータを、当時の警察も検察庁もとっていなかった。
そうすると、恐るべき事実が発覚したのである。
なんと、死亡事故を起こしたドライバーの55%が「累犯」すなわち、交通事故ですでに前科がついていたのである。
この恐ろしさがおわかりだろうか?
実は、交通事故というのは件数が多いので、軽微なものはご存知の「行政処分」で終わってしまう。免許の減点と罰金である。実際に検察に送致されるものは、よほどの大きな事故以外はないのである。検察官も、すべての交通事故をさばくような時間はないからである。
つまり、「交通事故の遺族」を作り出した加害者は、その事故以前に、すでに裁判で有罪判決を受けるだけの事故を起こしていた者が過半数だった、ということなのだ。
一般に交通事故は「事故」である。誰しも、意識して交通事故を起こそうとしているわけではない以上「事故」つまり過失である。それ故に、仮に訴追されても罪は軽い。さらに被害者救済には保険がある。
死亡事故であっても、保険金が下りて「被害者が救済されている」となれば、ほとんど「執行猶予付き判決」になる。
あの池袋母子死亡事故で、飯塚被告が「上級国民」だから逮捕されなかったのは事実であるが、おそらく判決が「執行猶予付き」つまり刑務所には行かなくて済むというのは間違いなく「相場」であって、何も飯塚被告だけの話ではない。
交通遺族が「刃物で人を殺したら殺人罪だが、クルマなら大丈夫だという話ではないですか」と憤るのは無理もない。
さらに、加害者のうち11%が「無免許運転」であった。無免許の内訳には、木下都議のような免停期間中や飲酒運転での一発取り消し、あるいはホントに免許取得しないままでクルマを手に入れて乗り続けている者などがいる。
警察が抜き打ちの検問を行うと、実際に無免許がこれに近い確率で見つかるというのである。
はっきり言うが、そこら中に無免許の自動車がゴロゴロ走っているのだ。
これらの事故を起こすドライバーの決り文句は
「あんな狭い道を相手が気をつけてないのがおかしいよね」「俺は運が悪かった」なのである。反省しない。しないので、何度も事故を起こして、ついには人身事故になる。とてつもない自己中なのであるが、本人は「悪気はない」ので、下手をすると「俺はいい人間だと周りからは言われるんだ」となる。
おそらく、木下都議もそうであろうと思う。
すごい本だ。著者は自動車関係のライターだ。よくこんな本を出したと思う。
その勇気に敬意を表する。評価は☆☆。
さて、表題の意味である。「殺人ドライバー」だ。
このような人種が、ほんとに「事故を起こす気はなくて」事故が起きているのだろうか?
実は、ほとんど「事故が起きるかどうか、そもそも気にもしてない」のではないか、というわけだ。これは「殺人」に等しいではないですか。
自動車というものは、人の本性を暴き出す。その人が本当はどんな人間であるか?クルマの運転をみればわかる。
粗暴な人は粗暴に、自己中な人は自己中な運転をする。クルマは、そういう装置である。
自転車で車道を走るとき、本当に気をつけてほしい。危ないときは、歩道に逃げることを躊躇するべきではない。
そこらじゅうに、このような殺人ドライバーはいる。彼らは、あなたを轢き殺しても「運がわるかった」「あんなところを走っている相手も悪い」と思うだけだ。下手をすると、自賠責もかかっていない車検切れのクルマで平気で走っている。自分の落ち度を反省することは絶対にない。
殺され損になるのは間違いないのである。
お互いに、命あっての物種ですぞ。
世の中に、そういう人種が相当にいるということを、よくわかっておくべきなのだ。