Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

革命前夜

「革命前夜」須賀しのぶ

舞台はベルリンの壁崩壊前夜の東ドイツ
日本人のピアニスト眞山はドレスデンに音楽留学する。
同学年には、天才的で自由に引きまくるヴェンゼルや教科書的な楽譜にあくまで忠実な演奏をするイェンツらがいた。
ともに才能にあふれたヴァイオリニストである。
眞山は、ヴェンゼルのヴァイオリン・ソナタのパートナーに選ばれ、彼の天才的な音色にノックアウトされて自分の音を見失ってしまう。
悩める眞山がある日、教会にいくと、そこには素晴らしい音色のオルガンを奏でる美女、クリスタがいた。
彼女の音色をきいた眞山は、少しづつ自分の音を取り戻し始めると同時に、彼女に好意を持つ。
また、父の長年のペンフレンドだった家族に会いにゆき、そこで温かいもてなしを受けると同時に、彼の遺作の楽譜を譲り受ける。彼は音楽家だったのである。
眞山はヴェンゼルとのコンビを解消し、イェンツと新たに組んで、この遺作のヴァイオリン・ソナタを演奏しようとする。それはかなりの難曲だった。
ところが、ある日、ヴェンゼルが慰問にいった施設の演奏を聞きに行くと、そこにはクリスタがおり、二人で遺作のソナタを演奏するのを聞くことになる。
難曲で眞山らが解釈に苦労していたこの曲を、二人は素晴らしい演奏でひきこなす。
さらに、クリスタはなんとヴェンゼルと結婚するという。
音楽的才能でも恋人でも打ちのめされた眞山だが、クリスタが追ってくる。
ヴェンゼルは実は活動家で、クリスタを西側に亡命させるための偽装結婚だというのである。
その夜、何者かにヴェンゼルは襲撃され、大事な左手の機能を失う。
眞山はショックを受けるが、ハンガリーが西側への亡命を黙認していると聞き、クリスタを送っていく。
ドレスデンに戻った眞山を、ベルリンの壁崩壊が待ち受けていた。
そして、眞山は、ヴェンゼル襲撃事件の意外な犯人を知ることになる。
東側では、誰もが密告するかされるか、その2つしか存在しないのだ。。。


ベルリンの壁崩壊という歴史的な出来事を背景にした小説で、ことに音楽に関する書き込みが見事である。
この著者は、相当なクラオタか(笑)
私もクラシックは大好きなので、本書に登場するバッハやフランクのソナタなど、ほぼどの曲か思い浮かべることができる。
たいへん面白く読んだ。
評価は☆。

最近では、クラシックの曲はほとんどがyoutubeで聞ける。
検索すれば、すぐに出てくるのだ。古い演奏など、ほぼ無料である。
古いと言っても馬鹿にしてはいけないので、すでに評価の定まった名演奏であって、奇をてらった最近の演奏よりもずっと良かったりする。
私も、レコードからCDへと変遷してきた時代で、ずっとレコード収集したり、そのあとはCDを買ったりしてきたが、ある日すべて売ってしまった。
場所をとるパッケージを買い集める時代は終わったと思ったのである。
ネットですぐに聞けるし、なんなら映画だって一発で出てくるような時代だ。
サブスクに入らない、よほどの珍盤奇盤マニアを除けば、一般の音楽愛好家はもはやパッケージを買う必要などないことがわかったからである。

さて、そうして「脱パッケージ」を実行した私だが、こっそりと最近でもCDを買うことがある。
それは、オーディオのためなのだ。
イヤホンで聞く生活をしばらくしていたので、オーディオ機器も一式すべて手放した。
それが、どうしてもスピーカーでもう一度音楽を部屋に流したくなり、小さなスピーカーを手に入れた。KEFのiQ30という機種という安くて小さな機種だが、これを聞いて驚いた。
唖然とするほど音質が良いのだ。もちろん、組み合わせたのは小さな(昔ならバカにするような)アンプである。
そうなると、やっぱり「お皿」を回して音楽を聞きたくなる。
で、今では、厳選して「どうしても、たまには部屋で流したい音楽」のCDだけを買っているのだ。
ジリジリと増えてしまうが、ある程度になると放逐する。
「パッケージをコレクション」をする時代ではないと思っているからだ。コレクションが目的でもなく、それはネットで良いと思っている。
集めるのではなくて、ただ手元で流したいものだけを置いている。「あまり聞かないなあ」と思うやつは、遠慮なく放逐するのだ。
昔、五味康祐は「ほんとの音楽愛好家は選びぬかれた100枚のレコードだけを持っていればよい」と言っていたが、その感覚にちかいだろうか。
集めるのではなくて、選びぬいて残すのである。
中には、いったん手放したが、やっぱり手元に置いておきたくて、再入手したようなものもある。
自分が人生で最後まで残す100枚がどうなるだろう?と思いながら、雨の降る日曜日にスピーカーを鳴らすのである。
思えば、良い時代になったものだなあ、としみじみ思う次第ですなあ。