「コリーニ事件」F・シーラッハ。
ドイツの大物機械制作会社の会長、ヨハンがホテルでジャーナリストを自称した男、コリーニに殺される。
死体は銃弾を撃ち込まれたあと、犯人の足で頭を砕けるまで蹴られていた。
犯人のコリーニはホテルの1階に降り「人が殺されました」と自分で告げ、警察の到着を待って逮捕された。
かれの弁護にあたったのは、駆け出しの新米弁護士だった。
実は、この弁護士は被害者のヨハンを幼い頃によく知っていた。かれの親友の祖父だったからだ。
弁護士は弁護を辞退するべきかと迷うが、コリーニ自身が問題ないと言うので、そのまま義務に従って弁護することになる。
コリーニは殺害を認めたものの、動機を含めてすべて黙秘したままで公判が開かれた。
そして、弁護士は事件の背景を独自に調査し、ついにこの事件の動機を探り出す。
実はヨハンはナチス時代、イタリアで占領行政を行っていた。
イタリアではナチスに対してパルチザン活動があった。ナチスは、一人のドイツ人がテロで殺された場合、10人のイタリア人の人質を殺すことにしていた。
その被害者がコリーニの父親だった。
事件の動機が明らかになり、判決が下さる前の晩にコリーニは拘置所で自殺し、事件は終了した。
すごい小説である。
評価は☆☆。
この小説が実際にドイツの戦時中の犯罪行為に対する法の見直しをするきっかけになった。
かんたんに法的なポイントをまとめておくと。
ナチスのとったドイツ人1人に対してイタリア人10人の処刑は、国際法上では認められる可能性が高い。一人に対して100人だと、国際法違反とされるだろう。ようは「頃合い」なのだ。
そもそも、パルチザン(ゲリラ)自体は国際法違反の戦闘行為なので、これに対する報復は許される。
ナチスが戦時下の占領地域であるイタリアに対して、治安維持のために人質の処刑という脅しをかけたこと自体は、一概に違法とはいえない。
そして、ドイツの戦後、表向きにはユダヤ人に対するホロコーストの罪で大物たちは人道に対する罪で裁かれていくのだが、実際にナチスが支配したのはユダヤ人だけではなく、多くの国や民族がある。
そして、ナチスの「大物」がすべての支配ができたわけでなく、その大物の指示に従って「行政」を行った無数のドイツ人がいる。
彼らの罪は、戦後、大物にすべての罪を背負わせることで、時効を迎えたわけである。
民主国家の原則として、いったん無罪になった者を再び訴追することはない。
コリーニのような被害者側からすれば、自分たちに手を下した連中はまったく法的に裁かれることなく、戦後のドイツの復興で豊かな生活を手に入れていることになる。
コリーニ自身が語っているように、法的にいえば、コリーニの行った罪を逃れることはできない。
それは私的復讐である上に、相手の罪は「もはや存在しない」のである。
しかし、実際にコリーニの父親がヨハンに殺されたという「歴史」は、コリーニにとっては厳然とした「事実」なのだ。
歴史を「あとから」解釈して、ああだこうだと我々は言う。
やれ歴史を知らないの、歴史から学んでないだのとも言う。
しかし、「歴史」は個人の直面した「事実」とは、すこし違うのだ。
はっきり言えば、歴史は「あとから付けた解釈」に過ぎない。
「解釈」がどうであろうと、「事実」は消えもしない。
かつて、呉智英は「死刑を廃止するなら仇討ち復活を」と主張した。
あながち荒唐無稽な主張ではないものと思うのである。