秋篠宮眞子さまのKKとのご結婚の意思は硬いようで、ご本人は金銭の支給を返上してでも結婚されるご様子である。結婚後は、おそらく米国在住ということになる。
私は、お相手のKK氏は「スカ」であると思う。眞子様は、まったく男を見る目がないと思う。
秋篠宮の教育がよろしくないという意見もあるが、しかし、眞子様もすでに30を迎えるのである。二十歳やそこらの「小娘」ならともかく、30ヅラ下げて、相手を見る目がないのはご本人の責任である。
そういう意味で、私はこの結婚の先行きを危ぶむ。
しかし、それでも、このご結婚に私は賛成である。理由は、本人たちが結婚したいと望んでいるからだ。
日本国憲法にいわく「結婚は両性の合意にのみ基づく」のである。世論に基づくのではない。
世論に基づくということになれば、皇族には結婚の自由はないことになる。
それはおかしかろう。
さて、では恋愛はどうであろうか。
「恋愛と結婚は別」と明確に述べられた高円宮家のような例もある。しかし、これは個々人のポリシーの問題であって、強制されるべき考えとは思わない。
「恋愛結婚がしたい」という考えを、何人も拒否される理由はないと考える。(もちろん、相手がいるかどうかは別である)
早い話が、皇族に恋愛の自由があるかどうか?というのが、この話の結論だと思うのである。
私は、皇族にも恋愛の自由があると考える。
自由とはなにか?端的にいえば「愚行権」すなわち「失敗する権利」である。
「あなたは自由にしても良いですが、しかし、絶対に失敗してはいけません」これ自由でしょうか?まさか、であろう。
「あなたは自由に、絶対に失敗しない恋愛をして、絶対に失敗しない結婚をしなさい」こんなむちゃくちゃな話があり得るわけがないではないか。
つまり、自由を認めるからには、当然「失敗するかもしれない」ということを含まなければならない。理の当然である。
ゆえに、このような「ハズレ」ミエミエの結婚であっても、眞子様に自由があるかぎり、認めなければならん道理になるのである。
むろん皇室は税金が投入されているが、もしも税金が使われることが自由恋愛を制限する理由になるのであれば、公務員は自由に恋愛してはいけないことになる。
そんなことはあり得ない。
ゆえに、この結婚の相手はスカで、先行きたぶんうまくいかないだろうと思うけど、しかし、「人間のすることには自由を認めなければならない、そうでない国は野蛮人である」という私の信念(というより、先進国すべての共通認識ではないですか)にもとづき、やっぱり結婚には反対できないと思う。
で、この先、ニューヨークのドラッグストアでレジ打ちのバイトをする眞子様の姿が見られることになるかもしれない。それも自由の姿だろうなあ、と思う次第ですね。