Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

書店主フィクリーのものがたり

「書店主フィクリーのものがたり」ガブリエル・ゼヴィン。

2016年本屋大賞を受賞した作品。
本屋大賞は、文字通り書店員が投票によって選ぶ本である。私見では、年間でもっとも栄誉のある賞のひとつである。
なぜかというと、書店員という仕事は、重労働であるのに給与は一般に安いからだ。つまりは、本が好きでなければ、とても務まらない。
そんな本好きに投票で選ばれた年間ベスト(もちろん、ベストの意味は色々ある。ベストは書店員が考える基準による)なのだから、それは価値がある。

アリス島という小さな島は観光地で夏には避暑客があふれる。近くの港からはフェリーで2時間かかる。
この島に唯一の書店アイランドブックスがある。広さは20坪くらい。地下室と店舗、階上には住居。そこには書店主フィクリーが住んでいる。
フィクリーは偏屈で変わり者で、自分の趣味の文学書を多く取り揃えている。もちろん、それだけでは食えないので、夏の避暑客向けの本もたくさん仕入れている。
そこに、書籍卸の女性営業のアメリアがやってくる。
しかし、フィクリーはアメリカをけちょんけちょんにして追い返してしまう。僕の本の好みも知らずに、というわけだ。
その夜フィクリーは、店舗に現れた若い女性客が、連れていた赤ん坊をメモとともに残して、そのまま海に投身してしまう事件に遭う。
フィクリーは大事にしていたE・A・ポーの稀覯本「タマレーン」を紛失し、気分を変えたいときでもあったので、残された赤ん坊を自分が里親となって育てることを申し出る。
かくして、マヤはフィクリーの養女となり、本に囲まれて本好きの女の子に育っていく。
フィクリーはバツイチで、原因は死別である。妻のニックはアリス島の出身だったので、学生結婚した二人はそのまま博士課程を続けるより、書店を出すことを選んだ。
妻のニックは早世してしまったが、義理の姉は今でもなにかとフィクリーを気にかけており、マヤの面倒をみるのを手伝ってくれた。
一方、フィクリーは手ひどく追い返したアメリアのことが気になり始める。
アメリアもフィクリーと同じく、本を愛する女性であった。
関係を修復した二人は、やがて互いに愛し合うようになる。
やがて結婚。しかしアメリアは変わらず働き続けており、フィクリーも書店を続ける。
マヤが思春期にさしかかり、手狭になった店舗住宅を手放して中古の新居を手に入れることになった。
ところが、その時期に、フィクリーはたびたびごく短時間だが気を失うようになる。
妻のすすめに従い、専門医を受診したところ、脳腫瘍が発覚。
フィクリーは、新居のローンを抱えた途端に巨額のカネがかかる手術を受けるわけにはいかない(手術を受けても治癒する率は低い)と決心する。
ところが、そのとき、あの紛失した「タマレーン」が見つかる。誰かが郵便ポストに投げ入れていたのだ。
「タマレーン」には、幼いマヤのクレヨンによる落書きがあった。
いくらか価値は落ちたが、しかし稀覯本であるので、オークションで高値で売却。
フィクリーは、無事に手術を受けることができた。
しかし、やはり腫瘍は摘出しきれず、フィクリーは徐々に言葉を失っていく。
やがて、フィクリーは、残された言葉で、愛する妻とマヤに手紙を書くのだった。。。


淡々と進む物語で、登場人物のなかに誰も悪人がいない。
そして、皆が本を愛している。これは、本好きのための童話である。
本屋大賞を受賞して当然の作品だ。
しがない読書家の端くれとして、敬意を込めて☆☆☆。
これは仕方がないでしょう。

本書の後半にも出てくるが、ネットの普及で、本はどんどん市場から圧迫されている。
街の本屋さんは潰れていく一方だ。
しかし、「本屋が一軒もない街」でいいんだろうか?と思う。
本屋さんにならぶ新刊、選びぬかれた既刊のラインナップ、漫画、そして子供向けの絵本。
こんなものがなくなって、本当に「文化」はあるのかなあ、と思う。

映像だけを見て、移り変わる動画だけを追いかけて、わけがわからないうちに感動。はてさて、どうなのかなあ、と思う。
一方で、図書館に「ハリーポッター」の新刊が出たときだけ出かけて、いつまでも読めないと文句を言う親。
早く読みたければ買うべきじゃないか、と思う。カネを出さないで、文化の美味しいところだけなんて。
ちゃんとお金を稼いでいるのに。最近は文庫本でも一冊千円するようになったけど、でも、千円じゃないか。
ハリーポッターが出たときだけ、いくばくかのお金を出すのがそんなに嫌?
それじゃあ、本屋さんもなくなるわけだ。
そんな人達が、私は嫌い。

子供の頃、お小遣いが月千円だった。
その千円は、プラモデルを買うか、本を買うか、実に悩んだものだった。
買い食いをするとなくなってしまうから、私はほとんど駄菓子屋の記憶がない。本屋さんに行くか、プラモデルを買うか。
で、結局、本屋さんに行く。今月の一冊を買うためだ。
買った本は、ボロボロになるまで、繰り返して読んだ。
そんなことをする暇があったら、最近の子はスマホを見るんだろう。
それが幸福なのかどうか、わたしにはよくわからない。