Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

秀吉の能楽師

「秀吉の能楽師」奥山景布子。

山崎の神人、暮松新九郎は遊女宿の女主人をしている母から「秀吉のもとに行き、秀吉を能に没頭させろ」との命令を受ける。
新九郎はさっそく朝鮮出兵中の名護屋に行く。
秀吉は長い滞陣で飽きが来ており、新九郎の思惑どおり、今まで興味を示さなかった能にはじめて興味を見せる。
「能を学ぶと、何か良いことがあるのか?」と秀吉に聞かれた新九郎は「神になれまする」と答える。
その回答に満足した秀吉は、やがて能の稽古に熱中し始める。
やがて淀殿が子供を産んだという報が入ると、秀吉は名護屋のほうを部下に任せて自分は大阪に帰るが、それでも能への興味は尽きない
。4つの能の流派(今春、観世、宝生、金剛)を庇護し、ついには成果を見せるのだと言って禁中で史上初の武家による能の披露を行う。
秀吉だけでなく家康や前田利家浅野長政蒲生氏郷といった大名連中がこぞって参加する。
やがて秀吉は進められて、自分の人生を題材にした新作能まで作り始める。
しかし、そんな秀吉にも、やがて老いの影が忍び寄ってくる。
能を舞う足元がおかしくなり、拍子がとれなくなる。
その頃、新九郎は京の街で美しい女が踊る一座に見せられ、女と寧ろになる。
そこに大地震がやってきて、一座は散り散りになる。
新九郎は街の一座で勝手に踊った罰で座敷牢に入れられてしまう。
しかし、そんな新九郎をどういうわけか秀吉は許した。
牢を出て女と再開した新九郎は、母が死んだという噂を聞いて母のもとに向かう。
遊里についてみると、母はすでに死んでおり、書き置きが残されていた。
書き置きの暗号をとき、母が自分の身代わりに死んだと知った新九郎の前に、意外な人物が現れる。
その人物は、なぜ新九郎が秀吉のもとに送られて、能に熱中させる使命を負うことになったのか、その理由を語り始めるのだった。


豊臣時代に秀吉が老年になってから能に熱中したのは史実である。
それを題材にとって、うまく小説に仕立てた。
新九郎は架空の人物かと思うが、最後になって明かされる真相は「なるほどなあ」と思わずにはいられない。
およそ、暇を持て余した独裁者(朝鮮出兵だって、その暇がもたらした悲劇かもしれない)ほど、始末の悪いものはないからである。
評価は☆。
なかなか、面白かった。

現代で成功した人物というと、まず金銭的に豊かになった状態ということになる。
そうなると、次に何を求めるか?
これは人それぞれだと思うのだが、名誉欲に駆られたり、若い女にちょっかいを掛けてみたり、趣味に走ったりというあたりが普通である。
経団連の何とかだの、どこぞの三流大学の特任教授だのというのはだいたい名誉欲である。
女もそうですが、ほぼ原因はコンプレックスですな。
学がないと思われるのが屈辱で特任教授になりたがり、氏素性が怪しいと思われるのがいやだから経団連、もてなかったルサンチマンを果たすべくカネにものを言わせたりする。
そんな中で、能などの教養系の趣味に走るのは、かなり上等な部類であるかとは思われる。
しょせん人間の行動の原動力はコンプレックスなのだとおもうけれども、そう考えると、カネがあってもコンプレックスは満たされない、ということでもある。
なんだか、哀れな話ではある。
大金持ちがある日突如達観して、すべての私財を投げ捨てて出家した、なんて話はめったに聞かない。
幼い日のコンプレックス解消に人生を捧げるのが人の世の一生ということか。
なんだか、しみじみとしてしまうのでありますねえ。