Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

満州国演義 (全9冊)

満州国演義」全9冊。 船戸与一

不世出の大作家、船戸与一の遺作にして大作である。私は文庫で読んだが、全9冊。400字詰め原稿用紙換算で7000枚を超える。
しかし、ゆっくりゆっくりとこの9冊を読み終えた今、「読んでよかった」という思いと「また読みたい、何度も読みたい」という気持ちが交錯する。
あまりにも大きく、あまりにも残酷で、あまりにも壮大であり、そして哀れである。
この小説は、あの「満洲国」そのものを主人公にした、類のない壮大な叙事詩である。

物語の冒頭は、戊辰戦争会津で一人の若い人妻が新政府軍の兵士に犯される場面から始まる。それが、この物語のプロローグなのだ。
そこから場面は東京赤坂の霊南坂にある敷島家の屋敷にうつる。すでに時代は昭和初期に移っている。
屋敷の主は肺がんで死にかけており、その四人の息子が描かれる。
帝大出で外務省勤務の官僚、太郎。
霊南坂の家にはおらず、大陸で馬賊頭目になっている次郎。
陸軍の憲兵隊である三郎。
いまだ学生でアナキズムに傾倒した演劇をやっている四郎。
この4人の兄弟が、それぞれ満洲国の誕生から滅亡まで関わっていくのだ。
太郎は満洲国の外交部の官僚として、新国家建設に「男のロマン」を見るが、やがては満人の10倍という自分たちが決めた給料で愛人を囲い腐敗していく。
次郎は「柳絮のごとく生きる」を信条とした、暴力とロマンの男であるが、満州国がだめになっていくのと並行してやはりだめになっていく。いつしか、金のために破壊工作に従事するようになり、やがてインパールへ。
三郎は剛直な憲兵として自分を律して生きるが、その生き方は大日本帝国の敗戦とともに終焉を迎えざるを得ない。彼は死に場所を探すしかなくなっていく。
四郎は、満洲国が「五族協和、王道楽土」のキャッチフレーズとは裏腹に阿片による収益がなければ成立しないように、満州国の陰を這いずり回る人生を送らざるを得なくなる。しかし、そういう泥水を飲む過程のなかで、いつのまにか強かさを身に着け、戦後の日本を歩き出す。
この兄弟は、それぞれの満州国に生きた人物の視点であると同時に、満州に関わり合った日本人の典型にもなっている。
腐敗官僚とアウトローと軍人と落ちこぼれ。
そして、これらの人物と関わり、物語の背景を説明し、前にすすめるのが間垣という特務機関の男である。
登場人物の中で、間垣だけが「神の視点」を持つ。
この小説の冒頭が、敷島四兄弟と間垣との接点になっているのだ。
間垣は小説をすすめる「狂言回し」であると同時に、神の視点で作者の船戸与一の声を時々漏らす。
最後のシベリアで、間垣は満州国の謎解きをしてみせる。
満州国のスタートは、吉田松陰の幽囚録になるのだ、というのである。
幽囚録のとおりに、日本は極東での攘夷を進めて欧米に対抗し、90年の歳月を経て墜落したのだ、と。
そうすると「敷島」という登場人物の名字の意味も見えてくるのだ。「敷島」は日本である。
四兄弟は、それぞれの「日本」である。


評価は☆☆☆。
まったく文句なし。日本人として、実に重たい全9冊。
私が生涯に読んだ小説として、間違いなくベストテンに入るし、なんなら暫定一位くらい。そのぐらい、すごい小説だ。
「面白い」という意味では、これよりも面白い小説はあろうと思う。
しかし、私が日本人である限り、この小説を読んでよかったし、たぶん、また読み直すことがあると思う。
いつもずっと、これからアタマの中に残る。
そんな作品である。

船戸与一は、奇しくも敷島家の主人と同じく、この作品の執筆中に肺がんを宣告されたが、余命宣告を乗り越えてこの作品を書いた。
そして、見事に完結させた。おそろしい執念である。
巻末の参考文献のリストを見るだけでもおそろしいぐらいだ。
船戸与一は「今まで定説とされていたことも、調べていくうちにあやしいものがたくさん」あったというが、それも無理はない。
南京事件支那事変の犯人のように、いまだに定まらないものもたくさんある。
しかし、船戸与一はそこで断定はしない。登場人物のなかに、これらを断定できる立場にいるものもいない。
ただ、そこの目に写ったもの、そこで聞いた話を書いていく。背景や全体の動きは「神の目」で間垣が話す。
そこに現れてくるのは、満州国という偽りの国家の哀れさと寂しさである。
壮大な叙事詩というほかない。
こんな力技はみたことがない。無二である。

船戸与一のあとに、こんな小説をかける人はいないだろう。