Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

三体

「三体」劉慈欣。

支那のSFで、なんと2000万部以上売れているという化け物小説である。2015年に米国でヒューゴー賞を受賞している。
アジアのSFがヒューゴー賞を受賞したのは本作が初。つまり、日本の作家も、誰も取っていない。
たいへんな話題作であるが、いまだ文庫化されておらず、手を出すのを躊躇していた。
で、この夏休みに読もうと思ってアマゾンに注文したのだが、その夏休みはコロナでダウン。ようやく最近読み終えたところだ。

物語の冒頭は文化大革命。大学の物理学の教授の葉哲泰は、量子力学ブルジョア的な学問だという理由で紅衛兵に殺されてしまう。
一人娘の葉文潔は僻地の開拓部隊に送られ、そこでも思想の再教育の必要があるというので収容所に送られる寸前で、紅岩基地という山奥のレーダー基地に送られた。
紅岩基地は高度の秘密保持施設で、一度送られると二度と外へは出られないので、誰も志願するものがおらず、科学的な素養がある葉潔が送られたのである。
紅岩基地は表向きはレーダー基地だが、実は異星文明を探して交信し、他国よりも進んだ科学力を手に入れることが真の目的だった。
ある日、葉潔は異星文明に対して、太陽を増幅器に使うことで、強力な電波で交信を求めるメッセージを発した。
すると、返信があった。その返信は、なんと「返信するな」というものだった。一度の送信なら、単に方向がわかるだけだ。地球の位置はバレなくて済む。
しかし、返信すると、今度は地球の位置が特定されるだろう。そうすると、地球は侵略を受けるだろう、というのである。
異星人のなかに裏切ったものがいて、警告のメッセージを送ったのだ。
葉潔は、「返信するな」というメッセージに対して「こちらに来てほしい」と返信する。
文革のような馬鹿げた文明がはびこる地球なら、滅びても構わないと考えたのだ。もしも異星人がまともな世界にしてくれるなら、それはそれでありがたい。
葉潔のこの行為は上官と夫の知るところになったが、彼女は二人を事故に見せかけて殺してしまい、この事件は闇に葬られる。

やがて、ときは流れる。
物理学者たちが次々と自殺するという事件が起こる。その中には、葉潔の娘も含まれていた。その遺書には、物理学はない、と書かれていた。
やがてその理由がわかる。最新の加速器による観測で、素粒子の動きがまったくランダムであることがわかった。
つまり、物理法則は究極のところでは「ない」のであり、物理現象は単なる偶然の産物であるというものであった。
物理学というのは偏在性を本質としている。つまり、ある物理法則は、地球上のみならず、宇宙のどこでも同じく成り立つはずなのである。
それが破れているというのは、宇宙のあちこちで地球とは異なる物理で物事が動いていることになる。
物理学という学問自体が成立しなくなってしまうのである。
一方、そのころ、「三体」というネットゲームがひそかな流行をみせていた。
三体世界では、太陽が三重星となっている。太陽が二重星の場合は、その運行は数学的に予測が可能である。
しかし、三体になると、数学的な予測は不可能である。
三体世界の住人は、ある程度文明が進んだところで太陽が直列したり接近したりするので、その都度、世界が干上がってしまう。
そこで異星人たちは自らの身体を「脱水」して、カラカラに乾いた状態で地下で保存され、再び世界が適温になるともとのように水分を含んで元通りになるという独特のライフサイクルを営む。
もちろん、その都度地上の文明は消えてしまうので、またイチからやり直しになる。
そうして、リスタートするたびに、前の文明のかすかな残りを手がかりにまた文明の進化をやり直す。
やがて、このゲーム「三体」が、実は異星人文明の紹介であること、そして実際に地球に異星人の来訪を渇望するグループがいることが暴露される。
そのグループのリーダーは、なんと葉潔だった。
このグループ内では内紛が起こり、リーダーである彼女も、異星人とのその後の交信内容を知らなかった。
警察に捕まった葉潔は、内紛グループと異星人との交信記録を読み、実際に何が起こっていたかを知ることになる。彼女の娘の自殺も、異星人が地球にかけた呪いのせいだった。異星人は地球の物理学の発展を阻害する策をとっていたのだ。

異星人は地球の隣、アルファ=ケンタウリから来訪する。
その距離は4光年であり、光速の十分の一まで加速可能な異星人の来訪時期はおよそ400年後と推定された。
地球人は、対異星人との戦いに備えることになる。


最新の物理学の後半な知識と、SF的アイディアをこれでもかと詰め込んだ作品。
すれっからしのSFマニアなら「この設定はねえ、オタクもちょっとやり過ぎじゃないかなー」なんて言われそうな、荒削りな部分もある。
しかし、とにかく物語のエネルギーがすごく、ぐいぐいと作品世界に引き込む力は並大抵ではない。
すごい作品である。
これはもう、SFファンなら読むしかないでしょう。
評価は☆☆☆。

以前に「兄弟」余華を読んだ時、やはりモノすごい衝撃を受けた。この小説も、前半が文革時代からはじまった。
現代の支那は、文革という人間が基地外になった時代、人間が限界でどうなるかということを知っている。
そこを物語の底に据えたときの迫力は、これは違うのである。なんというか、人間に対する見方が根本的に違う。
それは、たとえば日本の小説や漫画にある「誰も信用できない」などという甘っちょろい世界とは違う。そんなことを言っているうちは、甘い。
地獄の底では、人間を信じる信じないという以前に、存在そのものが賭けである。それも、日常がそうなのだ。
その中で生きていくというのは、信用するしかないから信用するのであり、誰も信用しないなどという戯言を言わせない。そんなことを本当に思うのなら死ねばいいだろう、という世界なのだ。
本書の中で葉潔が異星人に応答したのもそうである。
異星人が信用できるから応答するのではないのだ。
日本人でこの境地に達したのは、仏教における親鸞くらいのものだろうと思う。おそらく、親鸞もまた、文革並みの地獄を見たのであろう。

本書は三部作の第一部である。
続編も読むことになりそうだ。