Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ゲティ家の身代金

ゲティ家の身代金」ジョン・ピアースン。

同名の映画になった原作らしい。「らしい」というのは、例によって映画を見ていないからである。
だいたい、映画になるのは「映画になる」部分なので、原作とは似て非なるものであるというのが私の認識である。


小説のクライマックスは間違いなくタイトルになった、世界一の大富豪ポール・ゲティの孫のポール三世が誘拐され、身代金1700万ドルが要求されたのをこの大富豪が拒否した場面である。
孫の命よりもカネが大事、ということで、当時でも話題になって、大いに非難もされた事件だったらしい。1973年というから、私は小学生だったこともあって、記憶にない。
映画でどこまで描かれているかはわからないが、小説を読むと、かなり背景が見えてくる。
もちろん、ポール・ゲティ本人が守銭奴だったというオチには変わりがないのだが。

私の小さい頃、小学生むけの「なんでも世界一ずかん」では、世界一の金持ちはポール・ゲティだった。ロックフェラーでもロスチャイルドでもない。
そのゲティだが、実は一代で財を築いたわけでなく、父親がすでに石油で当てた人物だった。しかし、父親はゲティにカネを与えなかった。
男なら自分で稼ぐべきだという哲学を持っていたようで、ゲティにもそれを要求した。しかし、そのための元手だけは出した。
そこでゲティはまずカリフォルニアで油田を当てて、その財をもとに今度は中堅の石油会社の買収に打って出る。これが成功して大金持ちの基礎を築く。
その後は、このゲティ・オイルを基盤に有望な石油投資を繰り返して大金持になった。
しかも、父親はゲティにカネを持たせない主義だったので、自分の財産をすべて婦人名義の信託に入れていた。ゲティの財産もこの信託から出資された形をとっていた。
これは税金対策で、信託に入っているうちは税金がかからず、信託から受益者にカネが渡った時、受益者の収入として課税されるという仕組みだったのである。
つまり、ゲティは信託の財産を増やすために活動していることになり、これは税金がかからない上に利息が利息を生むので、一代にして巨額な財産を築いてしまったというわけである。
そんな理由で、ゲティはとんでもない大金持ちの割には現金を大して持ったことがなく(もちろん、普通の人とくらべてはいけないレベルだが)自分が世界一の金持ちだという自覚もなかったようである。
ビジネスマンとしてはM&Aと投資で財産を築いたが、つまり現場を見たことはなく、すべて電話で動かしていた。
つまり、すべて「自分の頭のなかの想像だけで」投資を行った人なのである。実に特殊な能力であった。
ゲティは女性には目がないほうで、老年になるまで若い女を追いかけていた。
で、次から次へと女と関係を持って子供を産ませるのだが、子供が生まれる段になると興味を失って他の女に目移りするのである。
だから、ゲティの子供はみんな腹違いの兄弟というとになった。
しかも、この子供同士が財産を巡って争うのを見るのが好きだという鬼畜な性格で、しょっちゅう遺言書を書き直しては反応をみて楽しんでいたようだ。

相続人に入れたり外したりするのである。

このゲティの子供のうちの一人がポール・ジュニアで、子供の頃から芸術的な才能を示していたようだが、思春期をすぎると当時のはやりのヒッピーになってしまった。
世界一金持ちのヒッピーだというのでゴールデン・ヒッピーと呼ばれたようだ。
ポール・ジュニアはヒッピーのご多分に漏れずクスリとアルコールでメタメタだった。
ゲイルという女性と結婚したが、そのゲイルはあまりにヤク中な旦那をみてこれは駄目だと思って離婚してしまう。
ゲイルとの間に生まれたのがポール三世で、誘拐された当時、すでにポール・ジュニアとは別居していた。
しかし子供の一大事なので、ポール・ジュニアに相談する。すると、ポール・ジュニアは身代金の支払いを拒否してしまう。
ヤク中の彼は世界が自分を陥れようとしているという妄想に取り憑かれており、誘拐も自分を騙してカネを奪おうとする自作自演劇だと思い込んでしまうのである。
困ったゲイルは、世界一の金持ちのお爺さん、つまりゲティに相談する。すると、ゲティも身代金の支払いを拒否するのだ。
ゲティに言わせれば、自分にはたくさんの孫がいる、今身代金を払えばほかの孫もすべて誘拐のターゲットになってしまう、というものだった。
そのかわりに、自分の腕利きのボディガードを派遣する。
ところが、こいつはとんでもない役立たずだった。
で、ゲイルは仕方がないので、このボディガードの進言に従って身代金の値下げ交渉をする。
起こった誘拐犯はポール三世の片耳を切り落として送りつけるのだ。
ここに至って、ようやく役立たずのボディガードがボスにヤバいと報告し、ゲティも身代金を払う気になる。
ヤク中のオヤジも、自作自演劇でないことがやっとわかって同じくカネを払うことにする。
300万ドルに値下げされた身代金は支払われ、やっとポール三世は帰ってきたが、心には深いトラウマが残った。


小説の前半部分は正直言って退屈であり、読むのが苦行である。

誘拐事件から面白くなる。

評価は☆。


ゲティは紛れもなく変人であり、彼が財産を築いたのは「わらしべ長者」が大当たりを引き続けるという神業があったからである。
まあ、しかし、本人は財産の数字を増やす以外に何も趣味がなく、単に女のケツを追いかけるだけだった。
それもカネがあるので、あまり大した話でもないのである。
つくりまくった腹違いの子どもたちがまともに育つやつが少ないのは、これは仕方がない。

ポール・ジュニアはその後、クスリから立ち直ったあとには芸術への寄付を驚くほど行って、ついには英国で貴族に列せられる。
しかし、読んで思うのは、意外に法外なカネを持っても、大した使い道がないなあということである。
せいぜい、お屋敷を建てたり、古書や美術品の収蔵をしたりする程度。
あとは暇があるので作曲したり化石の採掘をしたりする。まあ、そんな程度。
ポール三世は古い映画の保存活動に寄付をしたりするけど、個人でDVDを買い集めるのと、本質的には同じだろう。
有り余る財産を、そうして趣味的なものに費やせばまだマシなほうで、あとは益体もないベンチャービジネスに投資して溶かしたりする。
そのうちに、身体を悪くして死んでしまう。

カネは困らない程度にあり、趣味はそれなりに楽しみ、あとは家族を大事にすれば、金持ちと普通の人と、そんなに変わらないもののようである。