この内田樹という人は、煮ても焼いても食えない人の典型だと思う。
ほんとにどうしようもない。なので好きである。
現代思想を論じているような人が、好感度マックスの「良い人」でどうするのだ?
そんなことになったら、いよいよ日本も終わりであろうよ。
で、著者の生徒さんやら読者やらから、それこそ街場の卑近な話題に関する質問をもらった著者がバッタバッタと現代思想でもって回答を、、、という趣向だと思うのだが、そこは内田先生なので、到底バッタバッタといかない。
なんだかヘナヘナとなったり、道士風に無理に悟ってみたりする。
それがおかしくて、とても面白く「ううーむ、そうきたかあ」と納得してしまうのだ。
感心したのに「決断について」というのがあった。
先生、どうしたら重大な決断を間違えないで済むでしょう?
回答は「重大な決断をせねばならん状況に追い込まれた時点で、相当ヤバいでしょう」というものである(意訳)。
たとえば、あなたはアナコンダに巻かれて死ぬか、コモドドラゴンに噛みつかれて死ぬか、さあどっちか、決断しなさい!ではチョイスの意味がないということなのである。
そのチョイスをしなければならんという時点で(どんなチョイスだよ)もう終わっているのである。
なので、先生はおっしゃる。
「なるべく、決断をくださなくて良いようにするのが大事である」
なあるほど、ではないか。
そう、人は大事な決断をよく間違うのである。そりゃ神ならぬ身の知るよしもなし、とうやつだ。単純な話、競馬の当たり馬券ひとつだって、ピタリと当てるのは至難の技である。結果が出たあとで「ああ、ヌケサクニゲタが来るなんて、よく考えりゃ当然じゃないか」と思ってくやしがる。これをもっともらしくやったのが高本理論である。競馬の高本理論は最高で、何しろすべての結果は当然の結末というおそるべき理論なのだ。
高本理論の欠点はただ一つ、事前に予想すると当たらないことだけである。
結果が出たあとの理論としては完璧なのだ(笑)。
そう、私たちは何度も間違えてきた。いまさら、間違えない方法なんて、あるわけないのだなあ。
評価は☆☆。
まあ、いつもの「内田節」とでもいうかなあ。
ほんとに、煮ても焼いても食えない(笑)最高です。
だんだん私もジジイになってくるわけですが、願わくば、このようにフザケタことを平然とぬかして若造を煙に巻く、そんなジジイになりたいものだと念願しております。
うむ、もっと頑張らねばなあ。