Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

転換点

昨日書評を書いた「街場の現代思想」に面白いことが書いてあった。

文化というものが成立するのに、もっとも大事なのは暇である、というのである。

大英帝国の爛熟期には、実はほぼ、その通貨価値が変動しなかった。で、どんどん植民地経営が進むので、金利も高い。資金需要が旺盛だったからだ。そうなると、どうなるか?先祖の中で、誰かが一山当てていれば、その子孫は働かなくても金利で食っていけるわけである。そういう連中がシャーロック・ホームズだったりするので、たしかにホームズは働いていないので、暇にまかせて殺人事件の犯人を推理できる。

日本の明智小五郎もそうなのだが、漱石の頃から「高等遊民」という連中がそうだった。で、大英帝国大日本帝国も戦争で貨幣価値が大幅に減価してしまい、そんな高等遊民はいなくなった。必然的に文化も衰えるのである。

 

さて、そうしてついに歴史的低金利になり「働かざるもの、食うべからず」を実践する我が国経済だが、これから先、どうなるか?経済ではなく、文化面で考えると、実はひょっとして大転換期を迎える可能性があると思う。

 

欧米で人権思想が芽生えたのは、実はペストのおかげだという説がある。ペストでどこの街も人口が半減以下という有様になってしまった欧州は、それまで人間として扱われていなかった農奴の価値が大いに上がることになった。そこでルネサンスである。

それまで、教会の聖職者以外の人間は奴隷並みの世の中が激変したわけだ。

同じことが日本でも起こる可能性がある、と考えるのである。

日本だけが巨額の財政赤字と日銀の保有株式のため、金利をあげられない状況にある。

日本は安い。で、米国は中共と敵対する姿勢は明らかなので、これからのサプライチェーンでは中共はずしが始まる。

となると、日本の生産能力は有望だというので、日本に生産設備が戻り始めている。だが、大問題がある。労働人口だ。ご存じのとおり、日本は厳しい少子高齢化である。労働人口はこれからさらに減る。いくら生産設備があっても人が集まらない。

こういう事態は、実は日本の歴史では珍しいことであると思われる。

思い返せば満洲国も、戦後のブラジル開拓団も、みんな人口圧力によって行われた国策である。日本は小さい島国のわりには多い人口を抱えて、つねに労働力は過剰であった。労働者の権利がややもすれば軽視され、それが当然と思われる社会であった。

それが、今度はついに労働力不足に陥るのだ。

かつての欧州と同じく、いやがおうにも人権を重視するしかなくなるのではないか。

今でも、●●ハラスメントとか、女性の権利向上とか、LGBTの人権とか、ようやくそんな雰囲気になってきた。これは、あきらかに兆しだと思うのだ。

これから、さらに人権重視をする世の中にシフトするんじゃないかと思うのである。

と同時に、すべてを良質な労働力を前提にした日本のシステムも変わると思う。

だめなやつはクビにして、マシなやつと入れ替えればいいという経営はできなくなる。何しろ募集が来ないんだから。

なので、あんまり良質でない労働力でもなんとか経営できる方策を講じるようになるはずだ。

それが良いことなのかどうか、私には、今のところわかりませんが。

 

史上はじめて「人を大事に」する機運が我が国に訪れるとすれば、まんざら少子化も悪くないんじゃないかと考えている。