Single40'S diary

「40過ぎて独身で」の作者が、あっというまに50代を迎えたブログ

ここまでわかった!宇宙の謎

「ここまでわかった!宇宙の謎」冨永裕久。副題は「銀河のしくみから超ひも理論まで」

 

宇宙論とか、素粒子論とかの本を読むのが結構好きである。

学生の頃はSFに結構はまっていた。なんでこんなことを思いつくんだろう?その大法螺と大風呂敷を広げてしまう感覚(センス・オブ・ワンダーというべきか)がたまらなく好きだったのである。

社会人になってから、アインシュタインに興味を持ち(それはアインシュタインが一般的社会人としてはてんで駄目な人間だと知ってから)相対論から量子論の本をブルーバックスで何冊か読んでハマった。

世界最高レベルの頭脳がこんな風呂敷を広げていると知ったときの楽しさは格別だったのである。しかも、それがどうも真実であるらしいというんだから、たまらない。

今でも二重スリット実験などは心躍るテーマである。

 

本書は、そんな相対論や素粒子論と宇宙論のつながりを平易に説明してくれる本である。いくつか読んだブルーバックスの本のほうがさらに深い内容なのであるが、忘れかけた部分や、特に極小の素粒子論が極大の宇宙論とどうかかわるのか?という部分がフォーカスされていて、3連休の間にのんびりと読む(あいまに昼寝してしまう)のには好適であった。

 

素粒子論と宇宙論の接点とは、一言で言えば宇宙の創生に関わる秘密の部分ということになる。宇宙が特異点と呼ばれる一点からビッグバンで生まれたことについては、今のところ最有力で疑いなさそうだが、それでもまだ疑問点は残っている。

特に、宇宙に物質だけがあって反物質がなぜないのか?などは大きなテーマである。

まあ、物質と反物質が等量あったら対消滅ですべて消えてしまうわけで、我々は存在しないわけだから、この問は「どうして我々は存在するのか」とイコールでもあるわけだ。何もない無のはずの真空以前の状態(つまり、特異点には「真空」も存在しないのだ。「空間」がないんだから)から、どうして今の宇宙ができたのか?という問題と素粒子論が関連するのだが、ここに面倒な相対論が出てくる。素粒子論と相対論が矛盾するのをどうにかできないか。もっと具体的に言うと、4つの基本的な力のなかでもっとも始末の悪い重力をどう素粒子論の中で相対論に合うように記述するかが大問題である。

で、現在の物理学者たちが喧々諤々やった結果、ついにM理論なるものが登場した。

これは超ひも理論の発展形なのだが、この世は実は11次元でできていて、うち1次元が「時間」なので、残りの空間は10次元でできていることになる。ところが、我々に認識できているのは3次元である。とすると、残り7次元はどこにいった?となる。

M理論によると、それはプランク長さ以下にコンパクトに圧縮されてしまったというのである。プランク長さ以下であれば、どうしても観測することは不可能である。

しかし、このM理論、なんとなく超ひも理論を相対論その他の理論とぶつからないよう、むりやりあっちこっちいじってデッチ上げた雰囲気がなくもない。政治的妥協の産物というか(苦笑)実際、M理論では何も証明できないので、そういう批判もあるそうだ。

おもしろいのは高次元からの我々の見え方で、たとえば2次元の迷路の中の人は自分がどこにいるかわからず大変だが、3次元の住人から見れば上から一目瞭然である。

同じように、3次元以上の立場から我々の世界を見れば一目瞭然にすべてを見渡せるだろう。我々の視角のすぐ裏の世界が、我々の記述法では数百億光年先の世界とつながっているのかもしれないということになる。ただ、それは我々には感知できない。。。

 

評価は☆。やっぱり面白いじゃないか。

 

それにしても、極小のマクロの世界を記述する素粒子論と、極大な宇宙を記述する相対論が矛盾するというのはまったく面白い現象で、しかも理屈はわからないが観測結果から素粒子論のほうがなんとなく優勢なのがおかしい。

理屈はわからないが、実際には使っている。よく見れば、我々の世界はそんな製品で溢れている。スマホだってGPSだって、今やすべて理屈を理解して使っている人が何人いるだろう?実は、この世界もそんなものだった、ということじゃないかと。

それでも、そこを追求したい。そこがとても共感するんですなあ。