Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ラスト・ウェイ・アウト

「ラスト・ウェイ・アウト」フェデリコ・アシャット。

タイトルの意味は「最終出口」ということになるだろうか。本書を読むと、まさに脱出口を求めて彷徨う物語であると感じる。

 

主人公のテッドは、今まさにピストルで自分のアタマをふっとばそうとしている。
妻子はうまく遊園地に遊びにいった。
テッドは悪性腫瘍を患っており、医師は治療が絶望的だと言っている。今は症状がないが、これあら苦しんでぼろぼろになって家族に迷惑をかけて死ぬよりは、すっぱりとこの世におさらばしようと考えたのである。
そこに突然、訪問者が現れる。そいつはリンチと名乗り、テッドにある提案をする。
実は秘密組織があって、自殺者の互助活動をしているというのである。
自殺志願者は、法の目をくぐり抜けた悪党などを始末する。どうせ死ぬのだから、悪人を殺しておこうというのだ。
それが終わると、自分を殺す人物が派遣される。これも自殺志願者である。
こうして、自殺志願者は自殺することなく、まったく見知らぬ他人に殺されたという最期を迎える。
自殺となれば家族の心にも影を残すし、保険金等に影響があることもある。通り魔的に殺されたほうが良いというのである。
テッドは納得し、まず裁判で証拠不十分で逃げ切った殺人犯を殺す。
ついで、自殺志願者だという湖畔の別荘に住む人物を殺すが、この人物は実は自殺志願をしてなかったらしい。
自分は騙されたのか?テッドは逃げ出し、そこで気を失う。
テッドが目覚めると、またも書斎で自殺しようとしてるところだった。
そこに訪問者が現れてリンチと名乗る。
そいつが自殺者互助会の話をする。
納得したふりをしたテッドは、今度は殺人対象者と会話して、リンチというやつの背景を探ることにする。
どうもリンチはうさんくさい。
しかし、自分の記憶もなにかがおかしい。どうして同じ光景を繰り返しているのだろう?
自分は、誰かを殺したのだろうか?
ここで前半が終わり、後半でヴァイオレット病院に入院しているテッドと医師の会話が始まる。。。


ひねりまくったストーリー、次の話の展開がまったく見えない。ただただ、次のページを捲るしかないのだ。
最期の1ページは私としては蛇足だと思ったが、それを差し引いて、やっぱり面白い小説だと思う。
あえていえば、きちんと整理してケレン味を取り除いたドグラ・マグラという感じ。
おどろおどろしいドグラマグラをちゃんと整理して見通しよく書いたら、きっと本書のような小説になる。
評価は☆☆。
奇書の類に近いかもしれないが、面白さは充分。
作者は南米の人で、しかもプロ作家ではなくて、正業は技師らしい。
それでいて、これだけの作品をものにしたんだから、すごいことだ。
日本でも、時代小説の上田秀人が本業が歯科医というのは有名である。
だいたい、二足のわらじの小説家の作品は案外良いものが多くて、理由は簡単で、そうでないとそもそも出版に漕ぎつけられないからである。
つまらない小説は編集が落としてしまうから、粒揃いのものしか残らないわけだ。
ひょっとすると、二足のわらじ小説家の作品を集中的に読んでみるのも一興かもしれないなあ。

南米、ラテンアメリカの小説というのは、それだけで一分野を築いているほど定評があるのだが、自分はなんとなく今まで接点がなかった。
食わず嫌い、ということもあるかもしれない。
少し気に掛けて見ても良いかもしれない。
ま、そもそも、あと何冊読めるのか?という問題が常に付きまとうのだけれども。
人間の最大の弱点は寿命ということですなあ。