Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

無理ゲー社会

「無理ゲー社会」橘玲

この人の「残酷な世界を生きるたったひとつの方法」には大いに影響を受けているし、40代後半から50代前半の地獄のような日々を生き抜いてこれたのも、この人の「黄金の羽根の拾い方」を読んだおかげである。
私は、しがない個人事業をマイクロ法人化することで、どうにか生きてこられた。

本書は昨年に出版されたもので、著者は最近になってこの種の社会批評的な著作を多く出しているようだ。
もともと寡作の人だったので、ありがたいことである。

さて、本書でいう「無理ゲー」とは何か?ということなのだが、結論から言えば「自分らしく生きる」である。
我々現代人は、「自分らしく生きないといけない」という呪縛に取り憑かれている。
かつては、そうではなかった。
社会は身分制であって、人は親の家業を継ぐのが当然であった。結婚も親が適当に決めたのである。
どんな優秀な人物でも、親の家業をする以外はできないのである。
「ああ、自分らしく生きられたらなあ」と、この世代の人々は思ったであろう。
しかし、社会が安定し、自由経済が発展すると、今度は「自分らしく生きる」ことが当然になり、そう求められるようになった。
そうすると「自分らしく生きていない」と思う人は苦悩することになる。
苦悩の理由は簡単だ。
自由な社会で、自分らしく生きられない原因は、おのれの能力不足以外にありえないんだから。
かつては、能力があってもそれを発揮する生き方は難しい社会だったので、「俺は悪くない、社会が悪い」と言えた。
今は「できない」のは自分が能力がないからで、言い訳ができない。
それでも言い訳が欲しい人は陰謀論に走るしかない。「社会がディープステイトに支配されているからだ」
もともと、人間は石器時代の脳と仕組みは大して変わっていないから、150人くらいがマックスの世界で因果を考えることしかできない。
この世界はマンデルブロが指摘したように「複雑系」の積み重ねで出来上がっているが、それだと人間の脳は理解できない。
いつまでも実現できない「自分らしく生きる」を前にして、まったく無理なゲームに挑んでいるのだ。


評価は☆☆。
相変わらずのキレである。
辛口だが、このひとの言うことは一面の真理なのだ。

若い頃は誰も同じである。みんな貧乏で、しかし、夢はある。
そこからスタートして、あるものは収入のいくばくかを投資(自己投資も含む)に回す。
あるものは毎日歌って踊って過ごす。
数十年が経つとどうなるだろう?
投資をしたものは、大きな成果を得ている。
歌って踊っておカネを使い続けたものは、持ち分ゼロのままだ。
そうすると、若いときは皆同じで貧乏(つまり平等)だが、老年になると格差が拡大する。これは自然である。
社会全体が安定して老年化していくと、必然的に格差が広がる。
それまでの積み重ねが反映する社会であるからである。
社会を平等にするものは、混乱、つまり疫病、戦争、革命、統治崩壊の四騎士しかないのである。