昨日は知人がいる関係で、生オケを聞きに行った。
開演前は、こっちが別に演奏するわけでもないのに、なぜか緊張してしまう。
あれは、なんでだろうか。
ようやく脱コロナが進んで、コンサートができるようになっているのはありがたい。だいたい、ロック公演じゃあるまいし、クラシックコンサートなんて静かなものなんだけどねえ。あ、終演後の「ブラボー!」があるか(笑)
生オケを聞くといつも不思議に思うのだが、音楽のわかり方が全く違う。
例えば、私はショパンもシューマンも苦手である。メンデルスゾーンも、あまり得意ではない。
ところが、実演でこれらを聞くと「ああ、そうだったのか!」と思う。嫌いな曲が、好きになったりする。
アマオケの場合だと、やっぱり奏者がプロではないので、ときにミスタッチがあったり(プロだってやらかしてくれますが、、、)アインザッツが崩れたりする。たまに、指揮者がすごい己の趣味を全開にして、異常に遅いテンポをとったりすると、あやうく演奏が崩壊しそうになってハラハラすることもある。だけど、それらを乗り切って見事に最後のコーダが鳴り響くと、もちろん「やった!」という感動はあるんだけど、それ以上に「この曲、じつはそうだったんだ」という気付きが多い。
私は自宅の再生装置も、大してコストはかけないけど、それなりに吟味したものを使っている。たかだか6畳のリスニングルームにしては、結構な音で聞いているのではないかと思う。
しかし、である。
どんな素晴らしい名盤を持ってきても、CDの音と、実演とでは、やっぱり曲を「わかった!」と思う深さが違う。「下手な生オケでも、あきらかに名演のCDに勝つ」というのが私の結論である。なので、再生装置にむやみにお金をかける必要はないというのが、かつてオーディオマニアだった私の結論なのだ。演奏することと、それを聞くことは、どちらも人間がやることである。単に良い音を出すだけでは、演奏は完成しないのではないか、そこに聞き手があって初めて「何か」が成立するんじゃないかと思う。
オカルト論者であれば、それは波動だというかもしれない。
そんなことは、私には分からない。
今でも「あのときの演奏」を覚えているものが、いくつかある。もう記憶が薄れた演奏会もある。だけど、そのときだけの体験をしたのは確かだ。
そのうち、必ずまた行くでしょう。忘れずにチケットを回してくれる知人に感謝。