Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

徴産制

「徴産制」田中兆子。

 

おもしろそうなタイトルに惹かれて購入。一応、SF小説ということになるのですが、サイエンスではなくてスペキュレイティブ(思弁的)だと思います。

 

未来の日本。スミダウィルスなる若い女性ばかりを死に至らしめる疫病が大流行し、ときの総理大臣ソガ首相は「徴産制」の導入を決める。20代の男は、2年間、性転換して子供を産まなければならない。人口回復のためである。出産が無事に終わったら子供は国家が引き取って養育するので、再び性転換して男にもどってよろしい、という制度である。未来の医学では、このような性転換手術が安全に実施できるのである。

「仕事だけして、子供も産まずに、年取ったから税金で助けてくれ、などという男はヒコクミンである。仕事もして子供も産んではじめて立派な男である」

女に子供を産めという男どもは、テメエで産めよという話であり、皮肉が効いているなあ。

 

で、この「徴産制」に取られた(なかには志願するやつもいる。カネが貰えるから)男たちがどうなるかを、ケース別に連作短篇の形で描いている。

最初の男はキャリア官僚で、徴産制には賛成しているのだが(国家のためだ)自分のようなエリートが2年間もそのためにキャリアを離れるのはムダだと考えている。

なのに、突然、召集令状がきてしまうのだ。

で、女に性転換するのだが、現実は過酷であった。なぜか、男は自分が性転換すると美少女になると勘違いしているのだが(笑)実際は元男なのだから、容貌はかなり劣る。

産役男というのは、天然の女性の下に見られる存在である。それでもパートナー契約、すなわち父になってくれる男を確保しなければならない。それが無理であれば、人工授精で子供を出産することになる。しかし、自力でパートナーを確保できず人工授精した産役男は「負け犬」という烙印を押され、なんとなく差別的な待遇を受けるのだ。

この元キャリア官僚も、パートナーを確保しそこなえば、もとの男に戻ってもキャリアとしての出世のコースからは外れる。

彼が再び男に戻ったときにキャリアであれば恩恵があるだろうと考える連中もいて、非合法な取引を持ちかけられる。名前だけのパートナーを確保し、実際は人口受精して、それも秘密裏に代理母で出産させる。自分はどこぞの高層マンションで2年間をのんびり過ごし、素知らぬ顔で復帰すれば良い、というのである。

しかし、この主人公はその裏の意図が分かっており、自分の価値ではなく、自分がもたらす利益だけでつながろうとする人々を拒否する。そうすると何が残るか?自分の周囲には利益目的の人物しかいないことに気が付き、負け犬の産役男の境遇を分かち合える仲間を見つけていく。

その他にも、自分の家庭に主婦(もと主夫だった)として戻ったり、騙されて慰安所に連れて行かれたり、女よりも美しい完全な整形手術を受けたりと、いろいろな男が登場する。

 

評価は☆。

一種のフェミニズム小説なので、そのへんが正直、少し鼻につくところもある。しかし、たしかにこれはSFだ。面白い。

 

私は、フェミニズムが別に嫌いではない。というか、現実の社会で「女性である」というだけで不利益を被ることは多く、そのような点は大いに是正が必要であると思う。

今の社会のように、女性だけに働いて家事もして子供も産め、なんて要求をするのはむちゃくちゃであると思う。どんだけ超人だよ。ふざけんな、と思う。その主張には正当性がある。

 

しかし、これは小説なのだ。もちろん、小説を実験場にして、このような作品を書いても別に構わないのである。しかし、私は小説にとってもっとも大事なことは「小説であること」だと思う。「思想を理解してもらう」早い話が「長いアジビラ」みたいなやつは、しょせん2流だと思う。名作にすら文句をつけるのだが、そういう意味で小林多喜二の「蟹工船」ですら、はっきりいえば大した作品ではないと思う。社会の不正を糾弾するなら、小説ではなくルポやドキュメンタリーのほうが良い気がするがどうか。文学も社会の不正と戦ってきた、という言い訳がほしいのかもしれないが。

一方で、戦争賛美をした作品も掃いて捨てるほどあったわけで、それらのほとんどがクズなのだろうと思うが(粗製乱造でも容易にカネが稼げたであろう)なかには光るものもあったのではないかと思う。作品の価値よりも、思想性が優劣をつけているのじゃないかと考えるのだ。だとすれば、くだらない。

 

小説は、小説以外のものになっちゃいけない。それが私の大げさに言えば文学観なので、思弁があろうがなかろうが、はっきり言ってどうでもいいし、もっと大事なものがあると思っている。

誤解のないように言っておくが、たしかにこの小説は面白い部分、考えさせる部分が多々あって、だから評価に値する。でも、そこまでだ。

 

いちばん大事なことは「心が一ミリでも動いたか」だ。私の場合、ほかに基準はないです。