Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

賤ヶ岳の鬼

「賤ヶ岳の鬼」吉川永青。

舞台は戦国時代、あの本能寺の変である。一報を聞いた柴田勝家は驚くが、すぐに甥の佐久間盛政を伴って出撃し、まず安土城に向かう。
これに先立って、織田家重臣佐久間信盛石山本願寺攻めの主将でありながら何も功績がないというので、一族もろとも追放されていた。
佐久間盛政も同じ目にあったわけだが、彼の叔父が柴田勝家だったおかげで許され、その配下になっている。

柴田勢が着いてみると安土城はすでに焼け落ちて、しかも、明智光秀はすでに秀吉に討たれたあとだった。
おくれをとった柴田は愕然とするが、すぐに清州会議で主導権を取り戻そうとする。
しかし、他の重臣にはすでに秀吉が根回しを済ませていた。中立派の丹羽長秀は、秀吉の明智討伐に参加して功績があり、秀吉を推すことで自分の功績もアピールすることができるからだった。
柴田は後継者に次男信孝を押すが、秀吉が「筋目」を持ち出し、わずか3歳の幼児、三法師を後継者に据えることになってしまう。
それでも、柴田は三法師の後見役に自分と気脈を通じている次男信孝をつけて岐阜城に在城させることを認めさせた。
安土城が再建されたら、そちらに三法師を戻すという話だった。
これで柴田は秀吉をしばらく封じることができると喜ぶが、盛政は楽観しなかった。秀吉は武士ではない、ゆえに有効だと思えば何でもする。骨のそこから武士の叔父、柴田勝家では謀略に歯が立たぬという。
盛政の読みどおり、秀吉は柴田と講和した直後に三男信雄の名代だという名目であっさりと講和を反古にして出撃、岐阜城を取り囲み、信孝を脅して三法師を取り上げて後見役を下ろさせてしまう。
信孝が約束を破って安土城に三法師を戻さないから、というのが理由だったが、もとより安土城の再建はできていない。できていないが、三男の信雄は「暗愚なので」理屈が通用せず、その配下である秀吉は「仕方なく信雄の命令に従って」出撃したのだという理屈である。
秀吉いわく「暗愚だから使い道がある」というわけだ。
三法師を手にいれた秀吉は、岐阜城に再度来攻。柴田勝家は、自分と岐阜の信孝、伊勢の滝川一益、さらに四国の長宗我部、三河の徳川、中国の毛利で秀吉包囲網を構築中であった。
しかし、その中心の信孝が討たれてしまうと包囲網が成立しない。柴田勝家は「いくら何でも主筋の信孝を討つか」と懐疑的だったが、盛政は「秀吉ならやる」という。
ようやく事態の重大さを悟った柴田は北陸から雪かきをしつつ出撃。
岐阜城を包囲中の秀吉勢を攻める。
柴田は、他の勢力が動くまで持久しようとするが、盛政は時間を与えては秀吉の有利になるだけと主張し、包囲陣の中に切り込む。
「鬼玄蕃」で鳴らした盛政の攻撃はすさまじく、たちまち秀吉勢を崩すが、そこで盛政は気がつく。ここで、このまま進んで賤ヶ岳をとってしまえば、眼下の秀吉勢を討つのはたやすい。しかも、岐阜城へは一本道で、ここを通らずには来られない。
敵陣深く突出する形になるため、もしも賤ヶ岳を取る前に秀吉主力が襲いかかってくれば全滅の危険がある。しかし、ここで勝てたら、勝利は確定する。
一か八かの賭けである。
柴田勝家は、かならず秀吉は1日で戻る、しかし賤ヶ岳を1日で取ることはできない。危険だから反転して戻れという。
しかし、盛政はここが戦の転回点だ、ここを逃せば勝機はない、秀吉が軍を返すまで2、3日はかかると見て突撃をかける。
盛政の賭けは敗れた。秀吉は、わずか1日で反転して来攻、賤ヶ岳を攻略中の盛政軍の背後を突く。盛政軍は壊滅、柴田勢も総崩れとなり賤ヶ岳の戦いは終わる。。。


賤ヶ岳の戦いは、秀吉視点の「七本槍」の活躍などが描かれることが多く、柴田勢の敗北の原因の起点となった佐久間盛政の突出については「猪武者」という評価がされることが一般的である。
しかし、この著者が最後に明かすように、秀吉勢の驚異的な反転速度の裏には、大垣城に入城しようとしたものの、折から長良川の氾濫で川を渡れず、そのままとどまっていたところ、柴田来攻の知らせを受けて反転したという事情があった。
つまり、長良川の氾濫がなければ、秀吉は予定通り大垣に入っていたはずで、佐久間盛政の策は成っていた可能性が高い。
「あきらめの悪い男」盛政に著者は言わせるのだが「最後には運が左右する、それまではわからない、だからどんなに不利でも最後まで頑張ってみないとわからない」ということなのだ。
言うまでもないが、勝てる策がある場合の話であって、策もないのに単に頑張るのは余計に傷を深くするので、念のため。
評価は☆。

 

この年令になって思うのは、ほんとうに成功した人というのは、ギリギリの線でどこかでバクチを打って成功しているということなのである。
最後は運である。もちろん、一か八か、というラインまで持ち込むのは努力である。しかし、そこまで持ち込んで、最後に運が必要なのだ。
世の中には、その最後に運をつかめずに散った人も、また数多くいる。
私も、そんな人を何人も見た。
中には、それで命を落とした人もいる。そんな人のことを思い出した。
世の中は残酷なのだ。