Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

日本経済は大転換できる

「日本経済は大転換できる」佐藤ゆかり

先日のパーティーのときの進呈本で、タダのものは読まねばもったいないので(笑)

上げ潮派」の経済論客、佐藤ゆかり議員の政策を興味深く拝見しました。

ううーむ、、、、という感じ、です。正直にいえば、すべて賛成できるわけではない。ただ、代案があるか?と言われると困ります。そこで「とりあえず反対しとけば?」という民主党な考えはとらないのですが(笑)いろいろ、考えさせられます。

まず、基本線は、いわゆる自由放任主義新自由主義です。この路線は、基本的に私は支持できます。好ましいとか、好ましくないという議論以前に、政府の介入の効果がなく、かえって非効率を増やし、国民を苦しめるもとになると思うからです。

しかし、それでも、1000万人移民政策は、支持しかねます。
単純に労働力不足、あるいは老人医療費不足のために移民を受け入れるということをしますと、かえってコスト高になる危険があります。

すごくわかりやすいたとえ話をします。
私は、日本の老人医療問題を、ただちに解決できる方法を知っています。つまり。「75歳以上は、日本国籍を剥奪する」ことにします。もしくは、医療費を自己負担できる人だけを残し、その他の人は日本国籍を剥奪します。代わりに、裕福な外国人には、日本国籍を与えます。。。すると。日本国の財務収支上は、ただちに問題が解決することになります。
しかしながら、このような提案をもって「問題解決」だとする人は、たぶんいないでしょう。

「国」を、単に「人間をくくる入れ物」だと思えば、そのような解決策は可能です。これは、投資ファンドの発想です。ファンドには、実態がありません。そこには、資金と「ファンドという概念」しかありません。しかし、実態があるもののように人間は考えます。

国も、同じように「概念」だけの問題と考えれば、そこには実態がありません。投資ファンドの資金の代わりに国民を容れれば、それで国家のできあがりです。つまり、「中身が悪ければ、入れ替えれば良い」となります。
ホントにそうでしょうか。

私は、ひょっとすると、日本人がこれから高齢化でダメになっていくのであれば、日本人は日本国と運命をともにして、一緒に没落するのも正しい道かもしれない、と思ったりもします。

海外から、新たな労働力を受け入れる「移民」と、日本の高齢者を海外に放り出す「棄民」は、論理的に考えれば「方向が違うだけで、理屈は一緒」です。

そんな国家があるのか?
あります。それは、かつての中共です。
一年に一回、中ソ国境に、ずらりと中国人が連れてこられます。その中国人達は、みんな、失明したり廃疾した身障者でした。彼らは、人民解放軍銃口に脅されて、ソ連に向けて歩かされます。無理矢理「亡命」させられるのです。それが、毛沢東時代の中国でした。そうすれば、生産力のない人民を養わなくて済む。これが真の共産主義だ。毛沢東は、そう豪語していました。

もしも「国家」が、ただの「入れ物」であれば、毛沢東の論理も、あるいは正当化されるのかもしれません。
しかし、それは本当に「中国人」のためなのか?という疑問は、ついてまわるでしょう。共産党のための中国であれば、それは正当化されるのでしょうけれども。。。

同じ事が、日本の移民政策についても言えるのではないでしょうか?
「それが、日本のため」だというならば、その「日本」って何でしょうか?それは「日本人」のことでしょうか?じゃあ、日本人じゃなくしてしまえば、関係なくなる道理ではないでしょうか?

そもそも、日本を救うとは、何か?
日本とは、何か?
日本人とは、何か?

そんな疑問に、最期は突き当たらざるを得ないのです。
それが、過ぎゆく時代への感傷にすぎないことを、わかってはいますけれども。

評価は☆です。
正直に、前半の宣伝は読み飛ばし(笑)後半の政策論を読むのが良いと思います。概要は示されています。なるほど、と思う点も多いのですが。

市場万能主義を推し進めれば、人々は「国民」である以前に「消費者」となるでしょう。そういう世界では、国家自体が「商品」となるでしょう。
コスタリカや北欧が、そんなに素晴らしい国であれば、日本人をやめて国籍を買えば良い。あるいは、交換すればいい。将来的には、国籍を売買する「市場」ができるかもしれません。みんなが、自由に国籍を売買することができる。それは、きっと、たしかに一種の「世界政府」の実現といえるでしょうね。

しかし。
損得でなく、日本人が日本人であることを選択する価値観はないのか。
時代おくれのやり方は、生き残ってはいけないのか。

そんなことを考えさせられてしまいました。