Single40'S diary

「40過ぎて独身で」の作者が、あっというまに50代を迎えたブログ

石破派の終焉にみる自民党のカイシャ化

石破さんが、さきの総裁選で3位に終わったことを受けて、派閥のリーダーの地位から下りる、と表明。

石破派は、石破さんを首相にするためのグループでしたから、これは事実上の

石破派の終焉になるかもしれません。

石破派の人材は政策能力が優秀な人が多いので、他の派閥の草刈場になるんじゃないかと思う次第。

 

私は、先の総裁選での3位は、つまり「国会議員の中での石破さんの人望のなさ

」を如実に表したもの、という見方をもちろん否定はしません。

しかし、一方で、自民党が「カイシャ」になってきているなあ、と思うのですよ。菅総裁は「菅社長」で、二階さんが「二階常務」あたり。

で、自民党の議員さんは、主流派閥から睨まれると出世に響くので、とにかく「上」の顔色を伺って態度を決める、みたいな。

 

仮にですが「石破優勢」という情勢が出た途端に、これら多くの「社員」は「次期社長」の石破さんに票を投じるんじゃないかと。

 

本来は、選挙区の議員というのは「個人商店」で、たまたま似たような考え方を持った商店同士で作ったのが「自民党」という「組合」なはずなんです。

つまり、総裁は「組合長」ですよ。組合の会議で、組合長が組合員に詰め寄られるくらいは当然の光景ですからね。組合長は、結構バラバラな組合員の考えを、マアマア妥協できる方向にまとめるのに汗をかく、という構図です。

石破さんは、安倍「組合長」とは反りが合わない組合員だったので、文句をつけていた。そりゃ組合だから、当然だと思っていた。

しかし、周囲はしらないうちに「カイシャ」になっていた。

「社長の方針に従わないなんて」「そんな不良社員はくさったリンゴなので、文句があるならやめろ」みたいな雰囲気になったんでしょうなあ。

そりゃ、会社員なら業務命令で、社長に従わなきゃならんです。

しかし、組合のはず、なんですけど。

石破さんは、その原理原則にこだわった。お前ら、政治家はサラリーマンじゃねえだろうが、と。

で、サラリーマンたちは反感をもった。

ついに落城、ということじゃないでしょうか。

 

問題は「国のため」になるかどうか。

私は、サラリーマン代議士は、ホントに国の役に立つのかどうか?かなり疑問に思いながら、成り行きを見ております。

まあ、もう若くもない自分ですから、先行きのことは、あまり関係ないかもしれないんですけどね(苦笑)

 

毎年この季節になると

毎年、この時期になると、ひそかに隠れ家に行く。

世はGO TO EATだそうであるが、そんなもんは使わない。いつものオヤジに、わけのわからんグルメサイトに送客手数料を払わせることになるからだ。

オヤジにしてみれば、常連客の予約をサイトを使って受け付けると、いくらかの手数料を持っていかれるのは腹が立つ話じゃないかと思ってしまうのだ。

あんなもの、どうせグルメサイト企業にどっかのお役人が天下るための仕掛けづくりに過ぎない、と私は思っている。税金を投入したら、税金を収めている市民ではなくて、役人に感謝しろ、というのがあいつらの考えなのだ。

それをてんとして恥じることもない連中なのだ。

それが上級コクミンだ、というわけだ。

おとといきやがれ。

 

で、いつものように自腹でちゃんと酒を飲む。

酒は、自腹で飲まないとまずくなる。他人におごってもらうと、その人にお追従のひとつも言わねばならん。それが人の道だからである。

しかし、そんな人の道を実践すると、酒を飲んだのにかえって疲れることになってしまうのだ。

かくして「ろくでなし」である私は、自腹で安酒を飲むほうが美味い、という結論に達したわけである。

 

で、目当てはもちろん、松茸の土瓶蒸しだ。

あとはぶり照りとか、いくらおろしなどをつまみながら。

 

よし、今年も味わえた。ありがたい。また来年まで。松茸は、やっぱり一年に一回しか食えない(苦笑)。

おかげでありがたいわけで、まあ、それでいいんじゃないかと思うのですな。

 

f:id:singleandover40:20201019165156j:plain

土瓶蒸し

 

破られた対称性

「破られた対称性」佐藤文隆。副題は「素粒子と宇宙の法則」

量子力学は、もはやとっくにSFを通り越して、多元宇宙だの分岐だのダークマターだのホログラフィック理論だの、とにかく大変なことになっている。
ブラックホールでドキドキしていた時代とは、もう隔世の感がある。
今年のノーベル賞は日本人受賞者なしで終わったが、2008年は南部陽一郎小林誠益川敏英の3氏が物理学で独占した。
その「小林-益川理論」は、実は日本の物理学の源流である湯川、朝永にちゃんとつながっている。
時々、無性に最新物理のはじっこを知りたくなる癖があるので、本書を手にとってみた。

のだが、、、正直にいって、内容的にはもう手が出ないんだよね、これが(泣)
著者は、難解な物理学の説明を、数学の数式をなるべく使わないで説明しようとしてくれている。
しかし、なにしろ、物理学のその「言葉」の意味が、いちいち頭に入ってこない。なので、意味がとれないのである。
これはやむをえなくて、我々の日常使っている言葉とまったく共通点がない観念の世界をむりやりくっつけているので、どうしたって「なじみ」がないと意味が取れない。
数学的な概念と、実際の粒子加速器の実験によって発見された粒子の振る舞いが一致しているので、そうやって説としては確率しているのだが、もともと極めて抽象的な理論の産物である。
へたな先入観を持たれないように、ストレンジだのフレーバーだのという名前がついているのであるが、それが「意味がない」と言われても、シロウトはクォークのスピンといえばくるくる回るジャングルジムを想像してしまうし、フレーバーといえば何かの香水じゃないかと思ってしまうのだ。
つまりは、言葉の概念が先に入ってしまっているので、肝心の概念が分からない。
かといって、数式はなおのこと分からない。
つまり、こういう世界はガチで物理学をしっかり勉強した人だけが把握できる、とてつもない羨ましい神からの贈り物、とでも言うしかないんだろう。
例えば、ほんとに音楽をがっちり勉強した人は、同じ演奏を聞いてもシロウトが「なんとなくいいなあ」といったレベルではなくて、非常に深いところで味わうことができるような。
今の世の中、たいがいのことはカネを積めばなんとかなる、と思われている。
しかし、いくらカネを積んでもクラシックコンサートを深いところで味わうこともできなければ、最先端の理論物理学の世界を理解する(これは世界の実相そのものだろう)こともできない。
せいぜい、できるのは、美味い料理と酒を味わうこと、きれいなオネエチャンと遊ぶことだけか。
それはそれで楽しいけど、やっぱり浅いわねえ。


評価は不能
だって、理解できないんだから(苦笑)。良いも悪いもない。
この本をずっと持っておいて、少しづつ理解できるようになる気もしない。無理である。
ただ、益川さんが、なんであのように特異な人であるのかは、わかったような気がした。その昔、物理学の世界は「史的唯物論」すなわちマルクス主義哲学と一致すると信じられていた時代があるのだ。
そういうとき、そういう傾向の人々がたくさん物理学を専攻した。
で、マルクス主義ソ連という実験によって世の中としては「おおむねハズレ」評価で確立したのだが、彼らは忙しかったので、ソ連の実験についてはそんなに注意を払っているわけでもなかった。
まあ、浮世離れした学問なんだから、それは当然である。
よって、少し奇妙な(ストレンジだ)人がいまだ結構いる、というわけである。

だからといって、大学がべつに悪いわけではない。
そもそも学問は、世の中に役に立つとか立たないとか、基本的に関係ないと私は思っている。
役に立つ、立たないという話は「銭勘定」の話である。
銭勘定から離れているのが、本来の学問の尊さであろうと思うので、そこを論じること自体がゲスだと思うのである。
ただし、学問的に銭勘定を論じる経済学は例外で、ありゃほんとに学問なのか?私はつねづね懐疑的に考えているのだ。
ただの開き直りの理屈のように思えるのである。

なんだか、わけのわからない話になってしまった。
新書なんてスカスカ、まったくアホらしいと思っている人には「これを読んでみろ」という感じ、かなあ。