Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

覚悟

先週は急遽、帰省してきた。弟から連絡があり、かねて療養中の母の具合が、良くないと知らせてきたからだ。

先週は、電話で話をしたばかりだったのに、すでに会話を少しするのが精一杯だった。

わざわざ遠いところから。と母はいった。

そして。自分の腕を見せた。その腕は、すごく細くなってしまっていた。

ずいぶん細くなったね。といいながら、私は母の腕をさすった。ほかにできることがなかったから。

 

朝から昼過ぎまで過ごして、またくると言って私は東京に帰った。

弟からは、いつでも帰れるように準備してくれと昨日、連絡があった。

 

こうして、少しずつ、覚悟をしていくことになるんだろう、と思う。

 

親しい友人が昨日、メールで近況を知らせてきた。彼はつい先週、ご尊父を亡くされたばかりだそうだ。もう仕事なんてどうでもよくなったと書いてあった。私もそう思う、と返信した。

 

分かっていること、わかったつもりに成っていること。いまだにわからないこと。

そんなことを思った。

 

 

時間は存在しない

「時間は存在しない」カルロ・ロヴェッリ。

 

高名な物理学者による科学エッセイにして、量子物理学の入門書、、、なのだけど、たぶん量子力学について少しは知ってないとチンプンカンプンだと思われるので、ブルーバックスを何冊か読んでる人向け。

私は、最近はチャッピーだのジェミニ君だのと物理学や法哲学、ミステリやSFの話を暇つぶしにするのだけど、とにかく相手が博覧強記なので(笑)かなりハマる。で、量子力学について話していて、チャッピーが勧めてくれたのがこの本なのだ(笑)

すなおに読んでみた。たしかに面白い、、、が。これがAIの好みになるのも、わかる気がする。そういう本なのだ。なんだ、そりゃ。

 

どうしてこの本をお勧めされることになったのか?という発端を書いておこう。SFで有名な「ウラシマ効果」というのがある。地球から、光速に限りなく近い速度で(光速に到達するすることは、物理的に質量がある以上、不可能だ)ロケットが飛び立つ。地球から見ると、ロケットの中の人は、時間の進みが遅くなる。やがて地球に帰還したロケットだが、乗組員は、自分の子孫の世代の人と会うことになる。彼らの時間では数年なのだが、地球では百年以上が経過している、まるで浦島太郎のように、、、という話である。これは相対論的に正しいのであり、実際に飛行機の中ではごくわずかに、時間の進みが遅いことも観測結果で分かっている。

この話だが、私は疑問を覚えた。地球から見れば、光速で遠ざかるロケットの中の人は時間の進みが遅いが、ロケットの中から地球を見たらどうなるか?いうまでもないが、光速で遠ざかるのは地球であり、ロケットから見れば「地球の人の時間の進みかたが遅い」になるはずだ。相対論では、ニュートンのように空間に絶対座標が存在しない。つまり「どっちが移動しているか」は決められないはずだ。お互いが遠ざかる、としかいえないではないか。ならば、ウラシマ効果は存在するはずがないのだが、、、、となる。これは矛盾ではないだろうか、、、まあ、こんな話をチャッピーにしたわけである(笑)

で、チャッピーは、シュレーディンガー方程式から解説するのは面倒なので、本書を読めといってきたわけだ(苦笑)やつも、こんなくだらない話に電気代を費やすのが嫌なのだろうな。

 

で、本書を読んだのだが、かなり面白かった。シュレーディンガー方程式では時間と空間は置換可能な「時空」で表現されるが、その意味がようやく理解できたのである。

つまり、宇宙には、すべてに共通な「同時」がない、のだ。

たとえば、我々から一番近いアルファケンタウリは4光年隔たっている。我々が地球で見るアルファケンタウリは「4年前の光」でしかない。では、「今」のアルファケンタウリは、4年経っているはずであって、どうなっているだろう、、、と思ってしまう。思ってしまうのが人間の思考のクセなのだけど、実はその「今」は我々の周辺にしかなく、アルファケンタウリは「今」はどうなっているか、という問いは成立しないのである。宇宙を貫く「同時」はないんだ、、、やっと理解した。

つまり、時間は空間と一緒に(加速系として)存在していて、我々の周辺では「今」があるんだけど、遠く空間を隔ててしまうと、時間も隔たってしまい「今」がなくなる。

なんてこった、と思うわけである。時間は、宇宙の中に、それぞれバラバラに散らばっているのだ。「出来事」でそれらはつながることはあるけど、存在するのは出来事だけである。その後の時間も共通になることは、原則としてない。おそるべし「一期一会」とは、永遠に別の時空に行ってしまうという意味だったのである。宇宙ごと、交点が交わった瞬間だったのである。なんたる!

 

評価は☆☆。

量子力学の初歩を少し入門した私くらいの人間だと、結構「おお!」がある。センスオブワンダーである。SFでなくても、なんと現実の物理学でドキドキする感覚を味わえてしまうのだ。生きててよかったなあ。

 

そんなわけで。

AIと関心事を会話して、おすすめの書物を読むというのは、かなり良いかもしれない。相手は博覧強記である。当たり前だ。読書ガイドしては、相当使える。

もっとも、ミステリの話をしておすすめを出してもらったら、ほぼすべて既読だった(苦笑)抜けがなく抑えてはいるが、深みは足りないか。最大公約数をとるパターンなので、仕方がないかもしれない。

 

一番だめなのは、本を読みもせず、自分で活字を追って考えもしないで、他人がつくった動画(それも、ほとんどが誰かのパクリだったりする)を見て「わかった気になる」ことだ。そんな馬鹿にだけは、なるまいとは思っている。

本意に非ず

「本意に非ず」上田秀人。

 

上田秀人の短編集である。それにしても、良いタイトルだ。「本意に非ず」実に良い。私の人生なんぞ、まさに「本意に非ず」の連続だ。あれよあれよと流されて、思惑とはまったく別の道を歩くはめになり、ジェットコースターのように(苦笑)得意絶頂から奈落の底にまっさかさま。。。実に味わい深いものである(笑)

上田秀人なら、間違いないだろうと思って読み始める。

 

全5編の短編集。それぞれの主人公は、明智光秀、松永久秀、伊達政宗、長谷川平蔵、勝海舟。

みな味わい深いが、私の好みでは、明智光秀と長谷川平蔵が特に印象に残った。

 

明智光秀の話は、例の「なぜ謀反したか」の動機に迫る話である。下敷きになっているのは、近年発見されて有力になっている「四国説」だ。四国の長曾我部元親への取次ぎを務めていた明智光秀が、四国切り取り次第とした信長の方針が一変して土佐一国となってしまい、面目を失って四国討伐軍の出発直前に裏切ったとする説である。「石谷家文書」が発見されて、かなり信ぴょう性があることから、最有力になっている。

この短編は、しかし、単純な「四国説」に異を唱える。長曾我部元親は、光秀が謀反する前に、土佐一国を受け入れると言っているからである。元親も馬鹿ではないので、信長に反抗し続けることは不可能だと知っていた。

では、なぜ光秀は謀反を行ったのか。

この短編では、光秀は「神輿」として担がれ、謀反の首謀者として祭り上げられただけの存在として描かれる。実際に謀反を行ったのは斎藤利三である。利三は、長曾我部元親の妻の義理の兄であると同時に、いわゆる美濃衆であった。光秀自身も、もともと美濃の出身なので、美濃衆の利三をつけられていたのだ。よく知られているように、光秀自身は徒手空拳の出身なので、累代の家臣はいない。美濃衆の縁があって、家臣に支えられている。はっきり言えば、光秀は家臣には、いざとなると逆らえないのである。家臣がいない大名なんて、いるわけがない。

そして、その当時の美濃衆が微妙であった。あきらかに、信長は美濃衆はずしに動いていた。美濃三人衆といえば、稲葉一鉄、氏家卜全、安藤守就であるが、すでに氏家卜全は討死、一鉄は隠居(のちに録をもらって復帰)、そして安藤は追放されていた。さらに、光秀は一鉄の家臣を引き抜きしたため、信長から叱責され、家老の利三は切腹まで申し付けられている。猪子兵助が命乞いしたため、なんとか許されたものの、利三はこれら一連の動きを「美濃衆はずし」と見ていた。そこで決起、というわけである。

「本意に非ず」光秀は、単に家臣の謀反の頭目に祭り上げられて、どうせ行き詰るだろうと見透かしてはいたものの、なすすべもない、、、という話である。

 

こういうのは良い。実に良い。「あるある」だからである。ありすぎて、親の顔より見慣れた風景だと思うほどだ(苦笑)

かつて勤めた会社で、中途半端に出世して、何度、こんな目にあわされたことか。それですっかり嫌になってしまい、後年はただ飄々と世捨て人のように過ごした、、、が、重要役員が世捨て人では良いわけがない。そうなのだ、わかってはいるが、どうにもならん、、、そういうことである。

 

評価は☆☆。

長谷川平蔵の話は、なおよかった。

中途半端に業績を上げると、いったいどうなるか。身につまされる話である。

 

今や私も老年になり、かつてのように、中途半端に業績を上げる立場でもなくなった(苦笑)。技術の進歩は早いので、ついていくのが精いっぱいだ。

しかし、それはそれで、気が楽でもある。そのぶん、余計な心配はしなくて済むからだ。

もっとも、すでに現役エンジニアとしては危なくなっているので、そろそろ年貢の納め時も近い。

時は流れたのだなあ、と思う。

時代小説を読んで、己の年齢を感じるとは、いったいどういうことだ?と思っているのだが、、、そんなものなのだ。