Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

確実な方法

私は最近思うのですが。
国の問題は「税」だと思うのです。あとの問題は「どうでもいいこと」にしか過ぎません。

たとえば「戦争」です。
軍国主義が」「右傾化が」「天皇制が」戦争をする、という考えは、同意できません。なぜならば、それはすべて「後付の解釈」であって、客観性がないと思うからです。真実を見つめるならば、回答はただひとつ。
「戦争が可能な税収があるから」
です。
だって、太平洋に浮かぶ珊瑚礁の島々の国をご覧なさい。平和でしょう(笑)そもそも、戦争をするお金がなけりゃ平和に決まっています。
戦争をした国をご覧なさい。戦争をするだけの税収があった国ばかりでしょう(笑)もちろん、戦時国債を発行したりしますが、それは「あとで返せそう」だから引き受け手がいるのであって、南太平洋の小島の戦時国債は冗談でしかなく、それこそ石油でも湧いてこないかぎり、誰も引き受けませんね。
こんな簡単な事実はございません。

ですから、「二度と戦争をしたくない」のであれば「戦争可能な税収のない国家にする」のが、もっとも簡単かつ確実に決まっております。

たとえば、国家は、福祉対策とか、教育とか、格差是正とか、富の再配分とか、いろいろな理由をつけて税を集めます。
その税は「お金」です。
お金は、なんでも買えます。もちろん、軍隊をつくることだって出来ます。

いくら「過去を反省」したって無駄です。なぜなら「反省だけならサルでもできる」からです(笑)

もしも、あなたが「心の底から平和主義」であるならば、税を集める行為に反対すればよろしいのです。
「福祉のため」なら税を払っても良い、というのは、何を根拠にしているのでしょうか。
平和主義者の皆様にお聞きしますが「政府の言うことを信じる」根拠は、いったいどこにありますか?
私が思いますに、「政府は信用できない」というのが大方の相場ではございませんか?
私は、そう思いますが(笑)

ひとつの例を出します。
私は、元法学部ですが、そこで学んだ「法人擬制主義」というのがあります。法人が、あたかも自然人のように、財産権や所有権を持つわけです。
で、ときには犯罪をします。よからぬ手段で、金品を手に入れたり、あるいは、人を死に至らしめたりします。
しかしながら、そのときは、法人には罪がないんです。まあ、もちろん、業務停止処分を受けたり、賠償をしたりすることはありますけれども。
法人を、牢屋につなぐことはできません。だって「法人」という人はいませんからね。
ですから、犯罪が法人として行われた場合でも、指示者や実行者が「詐欺犯」として処罰されることになります。法人でなく、個人の罪になります。
法人に手があってハンコを押したり、口があってしゃべるわけじゃありません。それは、皆、人がやっていることですから、その人を罰するのです。いきなり、なぜか「法人擬制主義」は崩壊するのですが、それはあくまで「擬制」つまり「みなし」だから、です。犯罪のような「脱法状態」では、「法人擬制主義」は成り立ちません。

ところが、この「法人」を「国家」に入れ替えたら、いかがでしょうか?
「国家」に手があって、ハンコをついたり、口があってしゃべるわけじゃありません。なのに、「国家」だけが「犯罪」ができると何故か考えているわけですな。
これは、国家だけが「脱法状態」にならない、ことを意味しています。
さて、そんなことがあるでしょうか?

もしも「国家」に罪があるならば、「会社」にも罪があると考えるほうが自然です。だから、会社を「懲役」にしたらどうですか?(笑)

ところが、「会社」だと、それはできません。ライブドア堀江社長を懲役にすることはできても、ライブドアという会社を懲役にはできません。
まさか、元社員全員を、強制労働にできるでしょうか(笑)

我々は「擬制」に欺されます。なぜかといえば、人間は、目の前の観察よりも、自分のアタマの中で観察から生じた「解釈」のほうを、信じてしまうからです。それは、人間の脳の癖です。

「国家」という擬制についても、よくよく事実から考え直したほうが良い、と私は思っております。
「都合のよいところだけは信じて」「そうでないところは否定する」のも方法の一つですが、それならば「いろいろに考える自由」は、もっと大事にすべきでしょうね。

そうでなくても煩わしい世の中。皆が自由なほうがいい、と思うのですがね。。。