Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

脱出を待つ者

「脱出を待つ者」ヴォンダ・マッキンタイア

転居をきっかけに発掘した(笑)今は亡きサンリオSF文庫の一冊。当然、絶版。

舞台は未来の地球で、人々は核戦争の汚染を避けて地下都市で暮らしている。その地下都市は「中央」と名付けられており、厳しい身分制度のために多くの奴隷が存在しており、絶対君主がいる。
(この絶対君主は、その権力を誰かから委譲されたり安堵されたものではないので、封建制ではなくて絶対制である)
放射能の影響で、生まれる子供には高い確率で異常がみられ、そういう子供は中央からも追放されて、さらに下層の地下世界に暮らすことになる。
主人公のミーシャという少女は、そういう地下世界に生まれた。彼女は優秀な体力と頭脳、そしてテレパスという超能力に恵まれている。
彼女は、自分の暮らす世界から脱出をはかり、中央に潜入するがたちまち見つかり、ひどくむち打たれて追放されてしまう。
そこに、宇宙船がやってくる。宇宙船には、科学で人工的につくられたクローン兄弟のサブワン、サブツウ、そして地球で生まれた盲目の女性宇宙飛行士(盲目になったのは長年の星間飛行による放射能障害のためである)と、彼女につき従う詩人のジャン・ヒカルがいる。ヒカルは、光源氏の末裔で純粋日本人という設定である(笑)。
サブワン、サブツウの兄弟は、中央に交易を求めるが、実は交易しなければ武力攻撃を行うという黒船状態なのであった。
やむなく、中央政府は彼らと交易をすることになる。
そこに、再びミーシャが潜入してくる。彼女は、うまくサブツウと遭遇し、彼の保護を受ける。
彼女に才能があると見込んだサブツウは、ジャン・ヒカルを家庭教師としてつける。彼女は、特に数学に才能を見せ、また宇宙飛行士になるための学問にも進歩を見せる。
そして、ついにある日。彼女はジャン・ヒカルの協力を得て、サブツウを人質にし、ついに地球を飛び立った。

懐かしい作品だが、再読しても傑作とは思わないな。
再刊を望む声が少ないのも、ムリもない。

こういう作品は、SFとはいいつつ、時代性を反映しているわけである。
つまり、反ベトナムやらなんやらあって、ヒッピー達があちこちにコミューンなる小さな部落をつくった。
ところが、そのコミューンで何が起こったかというと、小ボスが指導者風を吹かせ、他のメンバーを支配しようとしただけだったのである。早い話が「大きな権力」が「小さな権力」になっただけだった。
そこで、今度はコミューンからの脱出劇が語られるようになったというわけである。
ちなみに、本小説も「脱出したら、その次に輝かしい未来がある」という話にはなっていない。ただ、今よりは可能性があるだろう、というだけのことなのだ。

思うに、現状が好ましくない時には、脱出する勇気を持つことは必要なのである。しかし、脱出したからといって、ただちにユートピアが準備されているわけじゃない。さらにひどくなる可能性だってあるのだから。
それでも、脱出したいという欲望が湧いたら、なかなか押さえられるものではない。人は、希望を持つものだからである。
脱出を待つ者は、希望を持つ者ということである。
本書の中にも、奴隷の身分を開放されたのに、どうしていいかわからずに、呆然とする人物が描かれている。自由なだけでは、意味がないのである。希望をもっていなければ、自由は無価値だということだ。
希望と自由の両立は、当然の帰結として自己責任を伴う。
「自己責任」の否定をする人の論をよくよく見てみるがいい。そこには、必ず自由の軽視があり、その底には希望に対する否定がある。
私は、やっぱり自由な方が性にあっている。こりない人間なのだなあ(苦笑)