Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

引っ越し修行

自宅を購入したのはいいが、当然、引っ越しをしなければならない。
住宅ローンの支払いが始まるので、いつまでも陋屋アパートに居座っていると、二重に住居費がかかるからだ。
購入した家は極めつけの安売り物件だから(苦笑)家財道具は、照明はもちろん、カーテンレールに至るまでナシというどんがら状態である。
なあに、かまやしない。とにかく、雨露がしのげればいいのだ。
というわけで、さっさと不動産屋に電話して退去日を通告、そのまま引っ越し屋に電話。

引っ越し屋は、料金はそれこそピンキリなのである。大手はサービスもいいが、料金も高いと思ってまちがいない。
こちとら陋屋住まいであるし、高価な家具なんぞないのだ。安ければそれでいいのである。幸い、学生時代から転居が多かったので、安い引っ越し業者を知っていた。相見積もなにもない、即契約である。
相見積などというものは「する」ことが大事ではなくて「ある」と思わせればいいのだから、こんな簡単な話はないのである(笑)「う~ん、どうしようかな~。もう1社さんがねえー」と言えばいい。あとは勝手に値引きしてくれるのだ。

しかし、である。いざ転居となると、荷物が膨大なのに参った。
私は、家財道具なんてないのだが、書籍、自転車が3台とパーツ、レコードやらCD、パソコン関連、、、やたら荷物がある。
ちまちまと、毎日荷造りをしたが、なかなかはかどらない。一方では、地道に就職活動もしなければならないのだ。
転居と転職が重なると、そりゃあ事務量は多い。区役所だの、電話だの、職場だの、、、思わず「こりゃあかん」と死にそうになった。
泣き泣きしながら2週間。いっこうにどうにもならない我が陋屋で、私はボーゼンとしていた。
引っ越しのXデーは迫る。このままでは、もはや拙宅の転居作戦は頓挫間違いない。

おろおろした私は、つい、ある人物に相談した。(女性である)。彼女は国外も含めて、かなりの引っ越しのベテランなのである。
私の窮状を聴いた彼女は、あっさりと言ってのけた。「捨てることよ」

「あのなぁ。。。」悟りを開いた坊主じゃあるまいし、そうそう簡単に今まで収集したものを捨てられるものか。だから悩んでいるのだ、そう抗議した。
すると、彼女は言うのである。「それが執着よ。いいえ、妄執よ、捨てるべきよ。悟るのよ」
ははあ。私は、ここにおいて折伏されたのである。
引っ越しは、彼女いわく修行なのであり、おのれの執着を断ち切るべき機会なのであった。「とっとと成仏なさい」

かくして、私は、いろいろなものを捨てた。
もともと執着のない家具類はすべて。テレビも不要だと捨てた。いつか旅に出たいと思って買った自転車キャリアも捨てた。古いノートPC、雑多ながらくた。
本は、ブック○フに宅本便で大量に処分した。聴かないCDも若干。段ボール箱は第一弾が30箱、第2弾が20箱近かったと思う。ブッ○オフの査定は、稀覯だの絶版だの関係なく、単に本の新しさと状態による。二束三文を覚悟して、それでもいいと思った。楽である。
しかし、実際には売却額は3万円近くなった。これは望外の収入だった。

しかしながら、やはり執着は残っており、学生時代に買ったサンリオSF文庫をはじめとして、絶版本とマンガは残した。
これらは、新居の納屋兼音楽室の書棚に収容した。
裸にすれば、そういうことになったわけである。

くだんの彼女は、引っ越しの日にも手伝いに来てくれて、せっかく運び込んだ私のわずかばかりの家財をばしばしと成仏させてくれた(苦笑)
おかげで、えらくさっぱりしてしまった。膨大な処分品は、電話で業者のトラックを呼び、1台まるごとで処分した。この費用は、書籍の売却費用が役だった。

かくして。

引っ越しが終わると、家財はなくなり、さっぱりした部屋と膨大な借財(住宅ローン)が残ったわけである。
しかしながら、なんだか元気がでた。これでいいような気がした。
どうせ、向かい風の人生だ。こんなものだ、これで上等だと思った。
モノは、世界にあふれている。また買えばいいだけだ。ただ、これからは、むやみにお金をかけないで、生活を少しづつ作っていきたいと考えた。

そういうワケで、私の拙宅は、まだスペースがたくさんある。
望外だったことは、モノがなくなった部屋で音楽を聴いてみたら、実に音質が良かったことだ。
床も壁も木材で、エコーがかなり響くのだが、しかし鑑賞の妨げにはなっていない。なくしたものだけではなくて、得たものもあったというわけだ。

というわけで。
世間でも、ちょうど転居シーズンで、悩んでおられる方も多いのではないかと思う。
引っ越しは修行である。執着を絶つのである。

かつて、関ヶ原の合戦の後、敗れた上杉家は米沢に転封となって、領地が三分の一となった。宰相の直江兼続は、家臣の数を三分の一にしようとしたが、家臣達はどうしても連れて行ってくれと言う。
仕方がないから、みんなの俸給を三分の一にした。どえらい貧乏である。
ところが、自主的に領地を三分の一以上に減給をしてくれと申し出た者がいた。かの有名な豪傑、前田慶次郎である。
ほとんどの領地を返納し、あばら屋に茶碗一つを持って住んだ。茶碗は首からずた袋を下げて、これだけは値打ちもので大切にしていたという。
負けたというのに、彼は恬淡としており、少しも卑屈なところはなく、ただ有りの儘に貧乏暮らしをしていた。

私ごときが前田様に及びもつかぬが、そういう心がけを少しでも持てればいいな、と思っている。