Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

親鸞


浄土真宗の開祖、親鸞をモデルにした小説。
親鸞の青年期が上巻、法然上人に弟子入りした後が主に描かれるのが下巻という構成。

もともと親鸞は大した家系の生まれではなかったようであるが、まず比叡山に出家した、ということがある。
比叡山は開祖最澄伝教大師)が開いた名刹で、四宗兼学を掲げている。
当時も今も仏教界の最高峰のひとつであるが、仏教の重みが当時は段違い。
なので、それなりの家柄でないと、比叡山に入ることは許されないのである。
そこを著者は、小説的な仕組みで説明している。
実は、親鸞については、個人的な事柄はほとんど分かっていないそうで、このあたりの経緯は小説家的想像力のなせるものであろう。

出家した親鸞であるが、気が弱いくせに煩悩にはからきし弱く、純粋である一方でダメ男くんである(苦笑)。
しかし、そのおかげ(?)で、法然上人の説く弥陀の本願に目覚めていく、という展開になっている。

小説としては、まあまあ、面白いんじゃなかろうか。☆かなあ。
ただ、大事な場面で、聖徳太子のお導きがあったというのは、どうだろうか。
浄土真宗に太子信仰があったのかなあ。
まあ、民衆レベルにも太子信仰は根付いていたので、親鸞の布教姿勢からいえば、そういうことは言ったのかもしれない。


実は、親鸞の死後も、浄土真宗はあまり大したことはなかった(失礼)。
それが一気に隆盛を極めるのが、戦国時代、あの有名な本願寺顕如教如の父子からである。
当時「一向宗」という武装仏教団体だった浄土真宗だが、顕如は天才的布教家だった。
戦国という時代は、言うまでもないが一般の民百姓にとっては地獄のような時代である。
そこで、浄土真宗の教えが生きてくるわけである。
「弥陀の本願で、念仏を唱えることで、極楽往生できる」考えようによっては、強烈な厭世思考であるが、戦国時代の百姓が厭世的であるのは、ある意味当然であろう。
極限状況で、人の救いになるのは宗教しかないのである。

個人的に調べてみる限りでは、日本の仏教の宗教改革が行われたのが、まさに鎌倉時代で、比叡山がその起爆剤になっている。
法然親鸞もそうだし、日蓮道元も叡山出身である。
比叡山の「四宗兼学」の四宗は、円(法華経)、密(密教)、禅、律(戒律)である。
で、それぞれの分野がさらに発展して、鎌倉仏教の宗教改革につながるわけだ。
この中で、律だけがイマイチ大衆化しなかったが、ほとんどの民衆にとって戒律を守ることは不可能だから、それは当然である。

ちなみに。
浄土真宗がイマイチだった間に、隆盛を極めた他力信仰が一遍の時宗である。
これはすごくて、なんと、念仏を唱える必要さえない、というのである。
一遍いわく、弥陀の本願では「念仏を唱えれば」などと言っていない、という。凡愚も、あまねく救われるというのが弥陀の本願であって、極楽往生は弥陀の本願で決定している、というのである。
なにしろ、勝手に阿弥陀様が救ってくださるのだから、こちらは何もする必要がないのである。
なので、布教というのは「弥陀の本願を信じなさい」と勧誘することではなくて、「あなたは救われてます」とお知らせすることだ、というのである。
それで、救われることを知った喜びで、さあみんなで踊りましょうという(笑)踊り念仏が名物で、今のレイブというやつでしょうかねえ。
ほとんど、イベント屋さんかよ、と。

でも、この時宗は、一遍の没後に、急速に衰える。
そりゃそうだ。
何もしなくてよいのだから、寺もいらない、修業もしなくていい、布教も必要ない(お知らせはするけど)と、ないないづくし。
究極の楽ちん宗教だったのだが、何もしなくて良いという宗教は、やはり続かなかったというオチなんである。

ちなみに。
今で言うと、比叡山の対抗馬の高野山真言宗あたりが「何もしなくて良い」にかなり近い。
もちろん、お坊さんは修業をしなくてはならないのだが、在家信者は、修業したお坊さんの真言の力で、浄土に行くことになっている。
真言宗の教義というのは、密教で、つまり「浄土への裏口入学」なので秘密だよ、というのである(乱暴)。
だから、お布施だけは必要なわけだ。裏口入学には付きものですからなあ(笑)

ま、それはともかく。
最近では「自分で戒名を付けよう」などと説く、お馬鹿本も出ているらしい。
仏教を信じてもいないのに、戒名つける馬鹿がいるんだねえと、そっちのほうに驚くばかりですなあ。