Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

右見て右の、、、

私は自転車通勤している。服装は、冬はがっちりダウンにネックウォーマー。夏は速乾シャツの長袖、という感じである。半袖にしないのは、日焼けで腕が痛くなってしまうからだ。あまりに暑いと、直射日光を遮ることが重要になる。半袖はかえってよろしくないという結論だ。

 

で、問題なのが、今のような季節の変わり目である。毎年、悩むのだ。速乾シャツの場合は、仕事場についてからYシャツに着替える。しかし、今の時期なら汗をかくこともないので、そのままYシャツで良いのではないか。いや、ちょっと風は冷たいから、軽いウィンドブレーカー程度は羽織るべきか。。。

 

で、そんなときに。

周囲の自転車通勤の人々を観察するのだ。世間に合わせておけば、だいたい間違いないだろうという、主体性のカケラもない日本人的な思考をするのである(苦笑)

しかし、サラリーマン自転車通勤族については、まったく参考にならないと気が付いた。暑くても、しっかり背広を着ている人が多数。頭がおかしい。ま、上着を着ていないと落ち着かないのだろうが、、、付き合っていたら、こっちもおかしくなってしまう。

そういうわけで、私が一番参考にしているのが、学生さんたちなのである。

彼らは正直なので、暑ければYシャツ一枚になるし、まだ寒ければ学ランやブレザーを着て、ボタンを全開にする感じだ。

なるほど、と思って、真似をする。(学ランは着ませんが)これがぴったりなのだ。

 

今日見たら、まだYシャツ一枚族はいなかった。先週末は夏日もあったが、ここのところは、少し気温が落ち着いているからだろう。

級友とだべりながら、自転車をこぐ彼らの姿を見ていると、はるか昔の自分の姿を思い出して、ちょっと懐かしさを感じてしまう。

交通事故には気をつけろよ、とついつい、余計な心配をしてしまったりするんですなあ。

 

 

医療の進歩を実感する

昨日、母と電話で話をした。

肝生検の結果が良かったので、あとは大腸がんの手術を待つだけなのだが、内視鏡でとれる大きさとしては限界近いらしく、場合によっては抗がん剤を使って、少し小さくしてから切るかもしれない、とのこと。

 

この抗がん剤だが、昔は「がんで死ぬ前に抗がん剤で死ぬ」と言われたほど、副作用が強烈だった。私も大学のときに生物学で知ったのだが、最初の抗がん剤は毒ガスの副産物だったのだから、きつくて当然である。「すぐには死なない毒ガス」を抗がん剤として使ったのである。

しかし、そこから医療は長足の進歩を遂げた。母の知人が5年前に、大腸がん手術の経験者で、やっぱり抗がん剤を飲んだのだが、まったく副作用がなかったという。その話を聞いて、母も大いに意を強くしていた。もちろん、副作用の強さは人によって異なるのだけど、少なくとも、昔よりも大いに軽減されているというのが昨今の情勢のようである。医療の進歩を実感する話だ。

 

考えてみれば。

わが国の最難関大学の東大理三は医学部であるし、東大とは言わなくても駅弁大学であっても医学部だけは別格の難易度である。つまり、わが国の最高峰の頭脳を医療に投入し続けているわけだ。そりゃ進歩もするというものだろう。

米国のように、トップ大学の理系がIT業界に行くなどという事態はわが国ではまずないわけで、そのまま、国の産業の力として表れている、、、というのは単純化しすぎだろうか。

でも、トップクラスの頭脳を投入した結果が、世界一の平均寿命だとしたら、やっぱりそれなりの成果とは言えると思うのである。

 

現代医学のすばらしさを実感するようになったのは、自分も年寄りになってきた、ということなのでしょうなあ。

天日津久神社に参拝する

土曜は素晴らしい天候で、休日であるが早めに愛猫に起こされる。

洗濯と布団干しを済ませて、自転車で出発する。

いつものように、市川橋を渡って都内を脱出、国分台から元山を抜けて、鎌ヶ谷から北総線沿いに東へ。小室公園で休憩後、千葉ニュータウンからまっすぐ南下、神崎川の合流点から新川に入る。新川サイクリングロードをひた走って、佐倉ふるさと広場へ。

チューリップ畑がきれいに咲いており、たくさんの観光客が訪れている。

佐倉ふるさと広場のチューリップ畑2024年4月

ここで時刻は12時半。まだ早いので、以前から気になっていた天日津久神社にいってみることにした。中華ナビをセットして、ここから12㎞。大したことはないだろう、、、と思ったのが大間違いだった。途中から、山越えのような道を案内されて、さすがに苦労する。自転車で、未舗装の山道の急こう配を上下するのはきびしい。さらに、印旛沼を横断する農道を指示されて、いってみると、管理者以外通行禁止でがっつりロープで通せんぼしてある。中華の人間なら、ロープあるよ、なんでもないねーで通れるのだろうが、実は私も試みようとしたものの、そういうやつが多いのか、ロープが隙間なく張ってあり、強行突破は不可能だ。この時点ですでに1時間を浪費していたが、ここまできたら意地になった。印旛沼をサイクリングロードに戻って大迂回して、県道伝いにアプローチして、やっと麻賀多神社にたどり着く。神社の雰囲気が、すでにただならぬ。圧倒されながら、まず麻賀多神社に参拝して、そのあと、神社の奥に別に祠がしつらえられている天日津久神社に参拝した。

天日津久神社2024年4月

参拝したとき、思わず全身が総毛だつような異様な感覚があり、びりびりと電気が走る。丁寧に頭を下げる。ここには、どうやら本当にいらっしゃるようである。

 

私は、いわゆる偽書とされる古文書は、あの竹内文書を筆頭に「SF小説」だと思うのである。だって、縄文時代にニューヨーク人、はないだろ(苦笑)言うまでもないが、偽書というのは、本物だと主張する困った糖質が現れるから、そう言わざるを得ないのである。そんなことを言わないで、想像力に敬意を払いつつ、楽しめばいいのだ。

岡本天明日月神示は、それら「超古代の偽書」SF小説とは一線を画す。SF的には、抜群である。日月神示をめぐる顛末をそのまま書くだけで、すごい小説になる。誰か、書いてくれないかな。

参拝の記念に、天日津久神社のお札をいただく。

 

帰りは、スマホでナビをセットしなおし、宗吾霊堂を経由して高橋尚子ジョギングロードを辿って佐倉ふるさと広場まで戻った。30分強。普通は、そんなものである。

 

思ったより時間がかかってしまったので、佐倉ふるさと広場から新川、花見川を経由して湾岸道路沿いに都内に帰る。腹を空かせた愛猫がいるので、のんびりしない。

距離は136kmだった。

還暦を過ぎたが、まだ、100㎞超を走れるようだ。有難いことである。