Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

オウム真理教事件と法律の地平

すでに、大学を出たのが20年前になっている。法哲学のことも、もはや記憶の彼方へ消えかけているし、最近の成果については無知だ。

オウム真理教松本被告の死刑判決が確定した。この事件は、我々に大きな衝撃を与えた事件だったと思うが、私は「法律の地平」を思う。つまり、法哲学のことである。

法学は、一般に法律の解釈や判例やらの研究をする学問だと思われている。憲法学あたりだと、かなり教授によってイデオロギー色がつく。それは、日本では、憲法だけがイデオロギーの対象となって、他はそうならないからだ。ホントは、民法行政法こそ大事なのだと思うのだけど。憲法なんざ、、、とは言わない(笑)。

で、オウム心理教事件であるが、これは実は「内乱罪」だったのではないか、と思うのだ。組織的に、明白に国家転覆を目的とした事件であるから。事実、オウム真理教の幹部連中は、改悛の情が著しく捜査協力した林被告をのぞいて、全員死刑だ。被害者数と犯行の残虐性から考えると、致し方ないかと思う。

法哲学の最初のゼミで、教授はこう話してくれた。
内乱罪というものがある。国家転覆の罪である。ところが、内乱罪は、実は必ず未遂罪である。なぜならば、内乱が成功した場合は『革命』と呼ばれるので、内乱とは言わぬ。内乱を起こし、成就した集団は新政府をつくることになるが、彼らが『革命』の過程で起こした犯罪を、自ら裁くことなどあり得ないであろう。
新政府は、新憲法をつくり、その他の法律も制定しなおす。これは、正義の基準が変わることである。
さて。成功すれば『革命』失敗すれば『内乱』と法律は規定するのであるが、しからば、法における権力の源泉とは、いったい何ぞや?」

あるものは「いや、そもそも内乱罪などおかしい、造反有理だ!」と主張した(笑)。あるものは、そもそも正義などそんなもんだろう、と言った。あるものは、内乱と革命を分けるものは、法ではなくて別のものがあると思われると述べた。

内乱罪とは、実は「法律がとぎれる地平」である。法哲学の徒は、ここから「法律とは、本当は何なのか」という問いに対する回答を求めはじめる。
人が「死ぬ」つまり「人生がとぎれる地平」から、哲学(宗教といってもよい)を求め始めることと同じである。

その上に、載っていては分からない。そこがとぎれた地平からだと、物事の本質が見えるものである。そういう方法論を、私は大学で学んだ。いまだに、大いに役に立っている。困ったとき、どうすれば良いか分からなくなったとき、私はその問題の地平から考え直すことをする。

オウム真理教事件では、捜査の過程でたくさんの微罪逮捕が行われた。布教ビラをまくためにポストに入れば不法侵入だった。カッターナイフが発見されれば銃刀法違反だった。たまりかねて警官に文句を言えば公務執行妨害だった。
憲法には「法の下の平等」が定められているから、オウム事件に対するこれらの手法が正当だとするならば、当然、我々もこのような捜査を自分がされることも受け入れなければ憲法違反である。
私がテレビを見ていたとき、人権保護団体も護憲主義者も「憲法」の定める「法の下の平等」に基づいて論じるものは居なかった。ただ単に、破防法反対だとか人権侵害だと言っただけだった。なぜ憲法を持ち出さないのか?それは9条よりも「法の下の平等」のほうが、よほど明白で信頼すべき原則であり、それゆえにその話を持ち出してはマズイからであった。
私が、彼らを一切信用するに足らない連中だと判断したのは、まさにこの時のことである。