昨日、昔の会社の同僚で、脳梗塞で死の一歩手前から生還した人とランチ会食をした。
彼は、以前から社会起業家的なところがあって、老人介護施設を2か所経営していた。皆さんご存じの万年人手不足ゆえ、自分で現場にも入って働いていたらしい。すごい。
しかし、無理がたたった。
昨年の夏。突然、意識を失って職場で倒れた。救急車ですぐに病院へ運ばれたが、その病院で重度の脳梗塞の診断はついたものの、手術できる設備がなかった。そこで、そのまま急遽、別の大病院へ。運ばれた先の大病院に、たまたま脳外科の先生がいる日で、そのまま緊急手術となった。腕には定評のある名医で、下手をすれば命を失う状態だったが、奇跡的に生還したのである。
きけば、脳の右半球がほぼ壊死しており、空間認識が失われたらしい。地図を見て、目的地はわかるのだが、それを自分の道順に展開することができなくなった。つまり、器質的な方向音痴になってしまったという。左手にも、軽いマヒが残っている。しかし、それだけで済んだのである。
とはいえ、大変な状態だったので、経営していた施設はすべて手放したという。まあ、経営者が倒れてしまったら、そうするしかない。今は、実家で、無理のない範囲で仕事へ復帰をしているところだそうだ。
その彼がしみじみと語っていたことだが。
倒れてから以後は、まったく意識がない。手術後も、しばらくまったく意識がない。で、1か月以上たってから、ようやく意識が戻ってくるのだが、「いつ意識が戻った」という記憶がないのだそうだ。ただ、気が付いたら、ここにいた、という感じなのだそうだ。
「それは、生まれる前と同じだったわけだなあ」
と言ったら、まさにそうだという。気が付いたらいた、という状態なのだそう。
そこで思ったことは、そもそも「意識」とは何だ?ということだったそうだ。自分が「自分」として存在しているというのは、思えば不思議なことだというのである。手術して、器質的には回復しても、意識が戻るかどうかは、また別なのだ。意識が帰る。それが不思議だという。
そして、意識がまったく途切れた状態、いわば「死」に等しいわけですが、それを後から思い出して怖くなったと。
我々だって、生まれてみたらこの世にいたのであって、いつからいたか、明確にわかっているわけではない。生まれたときは泣いているわけですが、その記憶はないし、その前も?ふつうは記憶にないわけである。
彼は、いわば、病気を通して「再生」したので、その状態をもう一度繰り返したわけだ。そうであっても、やはり死はコワいという。
そうか、そういうものだろうなあ、と思った次第である。