Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

働くということ - グローバル化と労働の新しい意味

「働くということ - グローバル化と労働の新しい意味」ドナルド・ドーア

最近、格差社会が話題になっているが、それは簡単にいえば「働いても豊かになれない」ことを指すと思って良いだろう。そもそも、働かない人が貧しいのは、ある意味で必然である。まあ、働かないのに豊かな人がいるから、不公平感が増すという、大きな事実があるわけだが。

で、本書は、なぜそのような「働くということの価値に不公平が生じてきているのか?どうして、その格差は拡大しているのか」を説明した本である。

簡単に書いてしまうと、結論は「グローバリゼーション」「個人市場主義」「新古典派による株主利益重視、従業員軽視の風潮」といったことになる。
また、一方で、労働の質的変化も上げられる。つまり、著者も「従来の労働運動家からすれば、受け入れにくいことだが」と前置きして、より専門家的な技能を要求する仕事が簡単な訓練では身につかないこと、つまり労働格差を解消するには「まず教育だ」という解決策が既に通用しにくくなっているという点をも指摘する。

私が思うに、グローバリゼーション、個人市場主義というのは労働サイドだけでなく、消費サイドの問題も絡んでいる。当たり前だが、昨日までラクダに乗っていた人が、今日は自動車を欲しがるようになるのである。10年前には地下鉄に冷房がないのは当然だとみんな了解していたが、もはやそうではない。一度、欲求水準が上がってしまうと、それを満たすために更に生産と労働が必要になる。しかも、今までよりも、もっと専門的な労働である。

ちょっと資本側の事情も考察してみると。新古典主義というが、その根底には「世界は今後もずっと豊かになりつづける」という確信がなくなったのが原因だろうと思う。
昔は、なんとなく「無限に成長する世界」という前提を、たぶん皆信じていたのだ。しかし、世界はだんだん狭くなり、資源は不足してきた。もうバラ色の未来は描けないのではないか。
企業が利潤を追求するのは、なにも新古典派に始まった話ではなくて、昔からそうだったはずだ。ただ、従業員を長期に雇用し安定した労使関係を維持することが、長期的に経営にプラスだという判断が基礎にあったものと思う。しかし、もはや3年先はおろか、、来年だって不透明な時代になった。長期的に「もっと利益が得られる」という見通しをもてなくなったら、とにかく短期利益の確保に走る。それが「株主利益の重視」である。株主は、儲からなくなれば、とっとと逃げるものだからだ。従業員よりも株主は短期利益に寄るのである。

同じ傾向が、実は労働側にも見える。企業が、長きの将来にわたって存続発展するという確証が薄れれば、職場を短期で変わるほうが得策になる。いつ沈むかわからぬ舟に乗っているなら、いざという時には逃げ出せる算段が必要だ。フリーターとか短期労働が増加している背景に、労働者自身の選択が作用していることを本書でも指摘しているが、そうでなくて、むしろ安定的な職を得られない人が多いのだと言う。その点は間違っていると思う。いや、本当に安定的な職場があればいいのかもしれないけど、もはや、そんなものはなくなりつつあるのじゃないか。(ひょっとすると、企業制度そのものが制度疲労なのかもしれない。個人市場主義の行く手には、既に企業の姿は見えないのじゃないか)

更にこれを言えば意地悪なのだが、グローバリゼーションは労働市場そのものにも波及している。早い話が、たとえば日本の製造業において、競争相手は中国やインドの労働者である。彼らが作ったものを購入する以上、彼らと労働市場においても競合となることは避けがたい。その意味では、マルクスが期待した世界の労働者の連帯など起こらなかった。逆に、労働者として、あるいは消費者として個人主義がより強まる結果となっている。実は、経営側もそうだ。株主が外国人なんて、別にもう珍しくない。
ある意味では、たしかに世界は一つになりつつあるわけだ。どこの金だろうと、金には変わりないのある。そういう意味で、たしかに資本主義は一貫している。。。

評価は☆。
実は、私はもっと個人的な動機から、この本を買ったのだった。つまり、私が日々、浮き身をやつしている労働なるものを、どう考えたらいいのか?その回答が知りたかったというのが本当のところだ。
本書は、ちょっと社会学的なスタンスが強すぎた。
私は、以前から表明しているように、そもそも社会学という学問を信用していない。学問の定義によるのだろうけどねぇ。まあ、個人の嗜好の問題といえばそれまでである。