Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

堕落論


学生時代に読み、大きな衝撃を受けた。今、思うところがあって、再読。自分が、たぶん、生涯で最も影響を受けた書である。

戦争が終わり、義士達は闇屋になり、未亡人は進駐軍と付き合う。亡夫の仏壇に手を合わせることも、だんだん少なくなっていく。それは、その人が悪いのではない、人間とはそういう生き物だと安吾は言う。
堕ちよ、堕ちよ。生きることは堕ちることだ、と安吾は宣言する。戦争に負けたからではない、生きるから堕ちるのだ、と。

今回買い求めた角川版には収録してなかったが、たしか、こんな話を安吾が書いていた。
神社があり、その拝殿に至る山道に石段がある。日本人は、その石段を登ることで、なにかしら己を鍛えて精神力を養おうとする。アメリカ人は、石段を見て、不便だからエスカレーターをつけてしまえ、と思う。
その日本人とアメリカ人が戦争するとどうなるか?ご覧のとおりだ、アメリカ人が勝つのである。これが、世の中の真実だ。

石段を見て、エスカレーターをつけて楽をしようと思うと考えることを、日本人は堕落だと思う。見よ、堕落したほうが勝つではないか。堕落するからいけないという、わけのわからぬ建前なんぞ止めてしまえ。エスカレーターを付けてしまえ。そうして堕ちきってこそ、初めて生きるということだ。
なんだか、そんな文章を読んだ覚えがある。
私は、そのとき以来、アタマの中で考えたことを(自分と他人とによらず)真実だと思うことをやめたのである。

どんなに堕ちても、人間たかが知れている、と安吾は言う。堕ちきることで、自分の生と取っ組み合う。それ以外に人生に救いはないのであり、政治による救いなど皮相なものでしかない。

坂口安吾の「堕落論」「続堕落論」もそうだけど、同時に収録された小林秀雄批判がおもしろかった。安吾が言っているのは、早い話が、小林のような文学観だと「面白くない」ということである。文学はしょせん「つくりごと」であり、面白い作り事でなくてはいけないとう安吾の考え方は、文学における「堕落論」なのだと思う。

評価は☆☆☆。
私の現在の考え方のすべての出発点となった書である。20年ぶりに読み返したら、面白いこと無類であった。脱帽。
何もいうことはありません。