Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

日本の農

私の実家のおばあちゃんの家には、かつていくつかの田んぼがあったが、今は一枚も残っていない。
そりゃあ、卒寿になるおばあちゃん一人では、どうしようもないのである。

で、遠方の田んぼは、みんな売った。しかし、なんにもならない。
うちは、亡くなったおじいちゃんの方針で、いっさい機械化をしていなかったから良かった。つまり、借金がなかったのだ。
農協から借金をして機械を買った家は、もうどうしようもない。政府の口車にのって借金してどうにもならないのは、夕張ばかりじゃない。
いちばん近い田んぼは残し、そこをつぶしてブルーベリーの木を植えた。何しろ農地だ。ブルーベリーは何もしなくても適当に冷涼なら実る。おかげで、秋にはブルーベリー食い放題だが、それほど美味いものではない。

今や世界的に食糧不足、穀類も豆類も高騰していると言うが、日本の農業に関していえば、米価は毎年下落の一途である。
玄米で、この10年間に半減しているのではないかと思う。専業農家は生活できない。1俵1万円を切るのではないか。

ところで。
戦後世界を支えてきたのは「WTO自由貿易体制」である。戦争を起こさないためには、各国が経済的に自由貿易で緊密に結びついているのが一番良い、ということである。
現実に、戦争はまず「経済制裁」禁輸措置から起こる。大東亜戦争のように、米国を最大の貿易相手国としながら、当の米国と戦争するなんて、普通はあり得ない。あり得ないことをしたから、偉いというか馬鹿というか、まあ、そういうことであろう。
ちなみに、中国も同様の理由で、日本に宣戦布告していない。当時の蒋介石政権にとって、最大の貿易相手国は米国であり、日本と戦争した場合に「戦争する政権と交易するのか」と議会でローズベルト大統領が孤立する危険があった。
結果、双方が宣戦布告せず、互いに単なる武力衝突(地域紛争)だと言い張る状況が生まれたのである。「15年戦争」という呼称が、「歴史の改ざん」だと批判されるゆえんである。

まあ、それはそれとして。
つまり、貿易でそれほど緊密に結びついていれば、そうそう「戦争だ」と啖呵を切るわけにもいかず。それが「西側=自由貿易体制」となり、結果として経済発展した。計画経済に基づく管理貿易=東側は大失敗に終わったわけだ。

そうなると仕方がないので、日本も「米は聖域だ」とも言えない。仕方なく、ミニマムアクセス米なる米を輸入して、お茶を濁している。

で、その米だが、いったい幾らか。
私の協力会社がサンノゼにあるので、そこの社長に聞いたら、カリフォルニア米が1キロ70円ですと。もちろん、普通に日本人の彼が「まあまあ美味い」という米である。これでスシバーだってやっているのだ。
つまり、下落した日本米とはいえ、国際相場から言えば、甚だしく高価である。日本の農民の生産コストを割れている価格で、国際価格に対抗できないのである。

申すまでもなく、日本は世界に製品を輸出して、外貨を稼いでいる。その金で、石油を買っている。その上で、日本国民は豊かな生活を享受している。である以上、米はダメだが石油はよこせ、だと筋が通らないではないか。
相手が工業国である場合は、当方が売り手だから自由貿易歓迎、農業国であると当方が買い手だから管理貿易だと言うのは、やっぱり迫力を欠く。

先月だったと思うが、あるイチゴ農家が外国人研修生を受け入れて、賃金をまともに払っていないというので訴えられたことがあった。
それだけ農村の働き手はいないのだとも言えるが、もう少しよく考えてみるとどうだろうか?彼らは、日本で農業をしようが、中国で農業をしようが、仕事をして賃金をもらうことに変わりはない。
彼らが日本に来るのは、日本のほうが賃金が高いからだ。同じものをつくっても、日本のほうが作物が高いからだとも言えるし、外国人労働者が働ける(つまり、出国リスクよりも賃金が国際相場で高い)ようでは、日本の農業が国際競争力がないのも当然だと言える。

日本の風景をつくってきた里山や田んぼ、用水などが、私は大好きである。であるから、そういう風景を守りたいと思う。
しかし、他国の農民が豊かになるのを、阻止することはできない。今の「格差社会」もそうだが、日本人が貧困化したのと相対的に、途上国で金持ちが生まれたのである。途上国の人が豊かになることを、日本人が阻止できる理由はない。日本人なら誰でも良い生活ができて当然という考えのほうが、まちがっている。

日本の米は高い。けれども、日本人にとっては、米は安すぎる。
日本人自身が日本の米を食わない限り、日本の農業が滅びるだろうことだけが確かなことである。
食糧安保の観点も大事だが、「通常の経済で、農業が成り立つこと」のほうがもっと大事だ。

米は言うまでもないが、たとえば小麦の関税は700%であり、日本人は7倍の価格のパスタやパンを食べている。「年収300万円」は、世界でみれば十分に豊かな生活ができる水準であるが、日本では苦しいのには理由があるのだ。
結果、格差社会で生活が苦しいと言う。農作物の関税をやめれば、圧倒的に食品は安くなってエンゲル係数は下がるだろう。けれども、日本の農業は壊滅だろう。

日本の農業を守ることと、生活者の生活を守ることはなかなか両立しにくい。
少なくとも、日本の政治がこの問題に無力であったことは確かだと思うが、また納得できる施策を示している政党も皆無である。
それが「両立する」という人の主張で、納得できる論理をまだ聞いたことがない。

政治にできることは、もうないのかもしれませんなぁ。