だいたい、私はへそ曲がりな人間なので、映画やらテレビやらになった本は読まないほうである。もちろん、その映画やらテレビやら、も見ない。たいがい、原作とは似ても似つかぬ代物が多いので、どっちにしても腹が立つからである。そんなことで腹を立てるのは馬鹿馬鹿しいので、放っておくのを常としている。
浅田次郎という人は、テレビや映画の原作になることが多いように思う。ちょっと、脚本みたいな小説を書く人だという印象がある。登場人物の台詞が長くて、背景描写が即物的なのである。だから、小説としてはモノ足りぬ、という思いがあった。
で、本書だけど、そういう浅田次郎的手法を実に効果的に使っている。主人公の吉村以下、その他の登場人物の台詞が長いこと長いこと。しかし、その台詞が泣かせるのだ。これは、芝居の台本みたいな本である。
もちろん、基本ラインは浪花節。日本人はよわいからねえ、こういうの。
もちろん、基本ラインは浪花節。日本人はよわいからねえ、こういうの。
私も日本人なので、浪花節に弱い。従って、やられる。つい泣かされてしまうわけだが。なんとなく、ずるいぞ、と思う。
評価は☆☆。どっぷりと浪花節を楽しめるわけだが、ちと、ダシが濃すぎるのではないか、などと思って。
ちなみに、すっかりこの壬生義士伝の世界にやられてしまった人には、中和剤として「天を衝く」(高橋克彦)を挙げておきたい。
南部藩の中興の祖といいつつ、実質は始祖である南部信直が、いかにして藩主の座につき、そして勢力を拡大していったか?つまびらかに知ることができよう。
九戸政実の反骨に比べりゃ、南部武士なんざぁ(以下 自主規制)
南部藩の中興の祖といいつつ、実質は始祖である南部信直が、いかにして藩主の座につき、そして勢力を拡大していったか?つまびらかに知ることができよう。
九戸政実の反骨に比べりゃ、南部武士なんざぁ(以下 自主規制)
明治政府もそうであるけど、国だの藩だのができあがるときは、そりゃもうグチャグチャで、謀略策略、日和見ゴマすり、なんでもまかり通るのである。
で、そうして曲がりなりにも「出来上がる」と、本当に義だの忠だのというものを備えた人物が支えてくれたりする。
そうすると「そもそもグチャグチャで出来上がったものに、忠だの義だのは可笑しい」という意見が出たりする。この小説のように、困って「忠より義だ」などと言ったりする。
しかし、どちらも、本当は同じことなのではないか、と思う。
つまり、もともとがグチャグチャであろうがなかろうが、ともかくも忠だの義だのと思える人間は偉い、ということである。
鳥獣や昆虫に忠義はない。人間は、苦労ばかりを背負い込む生き物なのである。
そこが、なんともかわゆうて、涙を誘うわけですなぁ。
で、そうして曲がりなりにも「出来上がる」と、本当に義だの忠だのというものを備えた人物が支えてくれたりする。
そうすると「そもそもグチャグチャで出来上がったものに、忠だの義だのは可笑しい」という意見が出たりする。この小説のように、困って「忠より義だ」などと言ったりする。
しかし、どちらも、本当は同じことなのではないか、と思う。
つまり、もともとがグチャグチャであろうがなかろうが、ともかくも忠だの義だのと思える人間は偉い、ということである。
鳥獣や昆虫に忠義はない。人間は、苦労ばかりを背負い込む生き物なのである。
そこが、なんともかわゆうて、涙を誘うわけですなぁ。