Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

極大射程

「極大射程」スティーブン・ハンター。

忙しくてどうしようもなかったが、最近は諦観も必要だと思い始めた。
いくら頑張ったところで、しょせん、一人分の仕事しかできないわけで。
しかし、人を使うのは、もっとダメである。
私は、上場企業時代に、自分の管理能力のなさを熟知する羽目になったのである。
そんな器はないのであった。

よって、どうにもならない仕事が吹き飛んでゆくことになるのだが、それを見送りつつ、開き直って本を読む。
こういう逃避行動の場合は、難しい本はダメなので、シンプルに面白そうな本を読もうと思って、これにした。
なんといっても映画化されたタネ本というのは楽しいのだ。

主人公のスワガーは、ベトナム戦争の生き残りで凄腕スナイパーである。
今は、アーカンソーの山の中で、隠遁生活を送っている。
戦地では、観測手のダニー・フェンを失っている。
本人も狙撃され、九死に一生を得て後送された。

そんなスワガーであったが、ある組織から、大統領狙撃に関する相談を持ち込まれる。
組織の正体は不明だが、大統領を狙撃する計画があり、それを狙っているのはかつてスワガーを狙撃したロシアのスナイパーかもしれない、という。
それなら、と考えたスワガーは、狙撃計画を阻止する活動に協力し、フィラデルフィアが危ないという結論を出す。
そして、彼のと予言通り、フィラデルフィアで狙撃は行われたのだが、実際には弾丸はそれて大統領と同席していた大司教に当たり、スワガーは重傷を負いながら、大統領狙撃犯として追われることになる。
スワガーは逃走しながら、実は狙撃が「大統領を狙ってはずれた」ものでなく、もともと大司教を狙ったものであったと気付く。
彼を誘った秘密組織が描いた筋書であった。
山中で狩りをしながら傷をいやしたスワガーは、組織に対して、たった一人、ライフルを持って壮絶な銃撃戦を挑むことになる。。。

笑ってしまうくらい、ベタなアクションとライフルに対する執拗な描写。
ハードボイルドの味付けが濃厚だが、はてさて、これはハードボイルドなんだろうか?
傷ついた男の癒しの物語がハードボイルドの原点ではあるが、ちょいと、甘すぎると思うのだなあ。
ご都合主義が目立つのは、最初から映画化をもくろんでいたためかもしれない。

評価は☆。
読んでいる最中は最高。こんな小説があってもいい。

全米ライフル協会というのがあって、銃規制に強硬に反対している。
日本人からすると、銃が野放しの社会で、いくつも事件が起こって、まったく馬鹿げていると思う。
しかしながら、本書を読むと、また別の側面があるのだと気付かされる。
つまり、銃は自立のシンボルであり、アメリカ開拓史そのものだという歴史的な経緯があるからである。

日本人が明治の廃刀令で刀を手放すのは早かった。
ほとんどが農民だったせいもあるが、そもそも武士だって、普段は重いので竹光を入れている人が多かった。
まして、出仕中に刀など抜けばお家断絶である。それなら、そもそも「抜けない」「中身がない」刀でいいわけである。
日本の武士にとって、刀は実用品でもなく、あるいは本領安堵に役立った歴史的な役割もなかった。
戦闘で使ったのは、弓鉄砲がほとんどで、刀は首取り用、せいぜい護身用だった。最悪は切腹用である。
つまり、刀は武士の「建前」そのものであって、「武士の魂」ということに(建前上)なっていただけなのだ。

しかし、アメリカの銃は違う。
彼らは、まさにその銃で建国したのである。
実用品であり、失えば侵入者は言うに及ばす、狼や熊から身を守ることすらできない。
米国の環境はそれだけ過酷だった。

そんな米国が、対中共になると、大きな口を叩きつつ、実は腰砕けになるのも、そんなことが影響しているのか、と思う。
つまりは、両者とも「銃口から生まれた権力」なのである。
そこにくっついた建前が「自由」か「マルクス」か、という違いしかない。
両者は、似た者同士なのではないか。。。

などと、つまらんことを考えたりした。

やれやれ、ようやく私も正常運転に近づいてきたようである。