Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

昭和16年夏の敗戦

「昭和16年夏の敗戦」猪瀬直樹

著者は5000万円の借金をしたばかりに、東京都知事の椅子を手放す羽目に陥ってしまった人である。
なんと馬鹿な、というのが世情の反応であろうし、私もそう思う。
東京五輪誘致の成功という功績も、一瞬で消え去り、今や過去の人であろう。

しかしながら、この人の書いた本で、やはり「ミカドの肖像」と本書は、優れた作品だと思う。
どうして石原氏がこの人を後継にしたか?
それは、「物書き」として、優れていると思ったからだろう。
石原氏の都政は物書きの都政であった(決して官僚の都政でも政治家の都政でもなかった)し、猪瀬氏にもそれを期待したのだろう。
結論から言えば、物書きは物書きでしかなかった。

本書は、開戦前に「総力戦研究所」がつくられ、そこに当時の日本の少壮優秀者が各界から集められ、総力戦の仮想演習を行い、結論として完膚なきまでの敗戦を予言したことを克明に再現したものである。
そして、なぜあの「無謀な戦争」に日本は向かったのか?という戦後生まれの素朴な疑問に答えるものになっている。

本書を読めば、あの開戦までの動きがつぶさにわかると思う。
昭和天皇はギリギリまで戦争回避を念願されておられたのだが、そもそも御前会議においては、天皇には「承認」する権限しかないことを、戦後の日本人は知らないであろう。
(その意味では、現憲法と変わらないのである)
御前会議はセレモニーなので、実際には軍部政府連絡会議がその実態なのだが、軍事機密の壁があるため、政府は軍の意向を正確に知ることができない。
まさに本書に言うごとく、これは大日本帝国憲法の「バグ」である。(いまだに持ち上げる阿呆がいるのには閉口する)

その中で、また東条も、必死に戦争回避に動く。昭和天皇いわく「虎穴にいらずんば虎児を得ず」
しかし、9月5日の御前会議の決定を覆すことは、東条にも不可能だった。
東条の就任から開戦まで、わずか44日。彼は、開戦の報告を陛下にして嗚咽する。

総力戦研究所の「必敗」の予想を、東条は厳しく口外禁止する。総力戦研究所は廃止。
しかし、その見通しは、実は東条の抱いた予想とまったく同じだったのではないか。
「諸君の予想はその通りだが、しかし、戦争というものは、やってみなければわからん」
本当はそのとおり、と思っていたのだ。
日本中が「やってみなければわからん」とはしゃぎまわっていた。
朝日新聞を筆頭にして、だ。

評価は☆☆。
虚心坦懐に読むべき。
猪瀬直樹は、すぐれた物書きであろう。

これから猪瀬直樹の本を出版する出版社は、少ないであろう。
彼は、あるいは断筆せざるを得ないかもしれない。
しかし、本書を読んで思う。
なまぐさい政治の世界をすっぱり諦めることになったのは、彼にとっては天佑かもしれない。
物書きの目でいいから、それでもう一度、作品を書いてほしいのだ。
実は、案外、素晴らしい作品が出るのではないか?
私は、そう期待している。

人生の再チャレンジ、なんでもいいが、この人の得手はやはりモノを書くところにあるんだから。