Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

「おろかもの」の正義論

「おろかもの」の正義論。小林利之。

「正義」とは何か?我々が感じる「正しさ」について、著者は冒頭に「臨済録」の言葉を掲げる。
「仏に遇っては仏を殺し、父母にあっては父母を殺し、羅漢にあっては羅漢を殺し、、、」文字通り殺人鬼になりなさい、という意味ではなくて、すべてを自由に考えよ、という意味である。
本書は、その目的の達成に、おそらく成功している。希有な書である。

いかに著者が自由な発想をしているか、たとえば「子どもをもつ人に課税する」という論理がある。「独身税」の逆である。
そもそも「子どもを持つか持たないか」は、全く個人の自由な選択によるべきもので、たとえば国家が介入して良いようなことではない。だから、「独身税」は否定される。
しかし、一方で、「先進国の子どもが一人成人するのに使用する莫大なエネルギーは、発展途上国の子どもの数百倍かかる」という事実がある。もっと分かり易く言えば、先進国で子どもをつくる結果、発展途上国では飢えて死ぬ子どもが数百人発生する、ということだ。
すなわち、人が「自由に、自分の選択に対して」責任を持つならば、先進国たる日本で子どもを持つことを選択した人は、子ども税を払い、その税でもって途上国支援を行うべきではないか?
さて、そう言えば「だって、そんなの関係ないじゃん」と皆が言うだろう。なぜなら、餓えて死ぬ子どもは、しょせんTVの中の画像であり、それ以上のものに感じるわけではないからだ。
それを、著者はこう表現する。「世界は100人の村じゃないから」もしも世界が100人の村だったら、目の前で餓え死にかけている子どもを放置することはあるまい。だけど、現実には世界は60億人いて、餓えて死にかけている子どもは遙か遠い世界にたくさんいる。だから、問題の解決が遠くなる。

ちなみに、「いつまでも独身でわがままな生活してんじゃないわよ」と私に文句をつけた我が社の既婚子持ち女性社員に、この論理を語ってみたところ「だって、私の可愛い○○ちゃんには関係ないもん」と言った。まさに、世界は100人の村ではないのだなぁ。

もっと厳しい現実をあえて指摘するならば、仮に子ども税が創設され、途上国に支援がなされるようになったならば、彼らは「もっと必要だ」と主張し続けるだろうし、そうして援助されることを当然だと考えるようになるだろう。その結果、彼らが自力で稼げるようになる時期は再び遠くなるとも言える。敗戦後の日本だって、米国の家畜用の脱脂粉乳を飲んでいたわけだが、そこから立ち上がるには援助の拡大が必要なわけではない。

なお、自動車論についても書いてあり、それで昨日「ミサイルと自動車」の比喩となったのだが、この論理は私が以前からこのブログに書いていた論理と全く同一である。どうも、この著者は、屁理屈がお好きなようである。

評価は☆☆。
個人的には、さらに踏み込んで欲しいと思う部分があり、あえて三つ星にしない。だけど、それを書けば、さらに読者が減るだろう(笑)だから、わからぬではない。
法哲学の入門書としても、優れていると思う。個人的に、オススメの一冊である。