Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

自動車とミサイル

我々は、平然と「他人が死ぬ」ことを受け入れ、それを是としている。
何も、遠くアフリカの地の難民のことを思っているわけではない。我々の同胞、日本人についてである。

以前にも指摘したことだが、交通事故で毎年1万人の人が死ぬ。昨年は7000人台だということになっているのだけど、これは警察の発表であり「事故発生後から24時間以内に死亡」した人数をカウントしている。厚労省調査では、このスパンが3ヶ月に広がるわけで、だいたい1万人になる。早い話が、自動車事故においてドライバーのマナーが向上したわけでも車両の安全性能が向上したわけでもなく、ただ単に救命医療技術が進歩して24時間以内には死ななくなっただけである。
もともと、交通事故の死者が圧倒的に弱者(歩行者)であるから、自動車が乗員を守るシートベルトを装備したところで、死者が減る方がおかしいのである。自動車は、乗員を守る装備をしても、はねた歩行者を救う装備は、どんな高級車にだってない。
それで、自動車産業は巨額の利益を上げている。その経団連会長が、靖国参拝について偉そうに意見を述べる訳である。
ありがたいことだ。ついでだから、自動車神社を設立し、毎年の交通事故死者を合祀して、その神社に参拝する政治家を「政教分離違反だ」と批判してくれれば、もっとありがたさが増すというものである。

もしも、この死者を、ゼロにしろとはいわないが、しかし1/10以下に減らす方法がある。それは「自動車の原則禁止」である。しかし、おそらく、誰もこの意見には賛成しないだろう。我々は、自動車がもたらす便利さとひき替えに、毎年、同胞の命を1万人差し出しているのである。その判断を「合理的だ」と思っているということだ。

今、北朝鮮のミサイルに関して、「先制攻撃」の可否に関する議論がある。
今、日本にはミサイル対ミサイルがないから、もしもミサイルが国民のアタマの上に落ちてきたら、なすすべがない。
ミサイル対ミサイルを配備すれば、このミサイルを迎撃できる。だけど、飛んでいるミサイルをこちらのミサイルで撃ち落とすのだから、曲芸みたいなもので、すべて防御できると考えるほうがどうかしている。いくつか減らせる、そんなところだろう。このミサイルを売りつけることで、アメリカが儲かる。
先制攻撃を行い、敵のミサイル基地を破壊すれば、ミサイルは飛んでこなくなる。それならそうした方が良いと思うのだけど、そうすると相手が余計逆上して撃つだろうから止めたが良いという議論である。
ご親切な隣国が、やはりそう忠告してくれる。彼らは、北朝鮮を丁寧に遇すれば大丈夫であると言っていたのだが、北朝鮮はやはりミサイルを撃ってしまった。だから、彼らの結論は「遇し方が足りなかった」となるに決まっている。いっそ、隣国うち揃って、偉大な主席様の国民になってしまえば、確かにミサイルは落ちてこなくなるだろうから、彼らの主張は間違いでない。
ただ、より多くの、ミサイル以外の原因による死者が出るだろうけどね。

迎撃ミサイルの配備に反対する人は、ちゃんと「アメリカを儲けさせるより、ミサイルで国民が死ぬことのほうがまだマシである」と主張すればよろしい。国民が多少死んでも、アメリカが儲けるのはイヤであると言えばいいだけだ。
先制攻撃に反対する人は、ちゃんと「ミサイルで死ぬことは、我々の社会にとって容認し得る被害である」と主張すればよい。
自動車と同じだ、我々は犠牲を甘受しているではないか。それが「合理的」であれば、国民は受け入れるはずだろう。

自動車の場合は、よくわかるのだが、ミサイルは実際に落ちてくることが少ないわけだから、ミサイルに関する考え方はなかなか知る機会がない。
だから、こういう機会に、誰がどういう考え方か、よく見ておけばよい。色々言葉はあるのだけど、つづめて言えば、私が上記にあげたパターンで分類可能ではないかと思うのだ。

ちなみに。
私は、ミサイルも自動車も、国民の生命を犠牲にする考え方は、みな反対である。そのために自動車がなくなっても良いと思っているのだ。だって、自転車野郎なんですからね(笑)