Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

軟弱者の戦争論

「軟弱者の戦争論」由紀草一。

いきなりで恐縮だが、この本はすごい。「軟弱者の平和論」ではないのだ。おそるべき論理のキレである。

この本のテーマは「平和主義の矛盾」に関する考察である。
まず、冒頭、筆者はこのように言う。「平和主義だから日本の憲法は良い、と言う。その良い憲法が定めているのだから、平和主義はよい、と言う。論理の環が閉じていることは明らかである。その論理の外から、平和主義について再考してみる」

で、最初にいくつか、代表的な平和主義に関して考察を行う。

「日本を侵略する国などないのだから、平和主義で良いという。この主張の場合は、単に前提条件の見解の問題であるから、もし前提条件が異なった場合は平和主義でなくなくなると考えて差し支えないので、議論の対象にしない(現実に有事になれば主張そのものが消えるから)」

「(井上ひさしらの主張する)無防備都市、オープンネイションについては、私がもし米大統領ならば、ただちに日本再占領を行う。危険がゼロだからである。その上で、改めて米国に忠実な国家を建設するだろう。60年前に行った『良いこと』を、また行ってはいけない理由がない」

また、日本が再び軍国主義化するというアジアの懸念に関してだが
「日本がカンボジアPKOに参加したとき、明石代表に日本が軍国主義なので帰れとカンボジア政府はいっさい言っていない。言うまでもないが、カンボジアは日本が大戦中に占領したインドシナである」
同じものを見て、意見が異なる国が存在するのは、単に見解の相違であって、平和主義の論拠にはなり得ないはずだろう。

トルストイの「イワンのばか」流の無抵抗主義に関して
「住民を虐殺する必要などない。彼らが生きていくだけのものを残し、残りを取り上げるだけでよい。それを受け入れるならば、平和主義は成立するかもしれない。コストのない平和はないのだろう」

そして、平和主義の最大の問題点は「目の前で殺されていく人を見たとき、あなたはどうするか」に収束するというのである。
「そこで武器をとれば、平和主義ではない。いや、無抵抗で殺されようという意見もある。それなら、平和主義は貫徹できる。ただ、その場合、平和主義のために死ぬということになり、そもそも死にたくないから平和主義を唱えたのではないかという疑念が生じる」
「たしかに自分は死にたくない。だから、自分が殺される場合はともかく、他人の場合は無抵抗にしようという考え方もある。それは、自分だけが助かれば良いという主張で、たしかに頷けるものがある。ただし、その思想を、世界の理想と呼ぶのは美化が過ぎるのではないか」
「現実に、日本は自国防衛に関してもそうだが、PKFに関しても資金を出すだけで済ませようというスタンスであった。PKO、PKFを分けようという主張は、日本以外に見られない。なぜなら、前線維持するための後方支援活動だけが安全だという保証はないのである。そうすると、日本は、金だけ出して他国に戦争させる国ということになる。」それが90年代の湾岸戦争時にクウェートから受けた扱いであったと総括する。だから、感謝されなかったわけである。
「論理的に矛盾なくするなら、どうも憲法改正しかないような気がする」

明晰な論理で、平和主義の矛盾をついていく。かなり平和主義的な立場で読んでいっても、反論に窮するのではないか。私は、最初は右派(笑)、再読のときはなんとか平和主義側に立って読んでみたが、非常に手強いと思った。著者は、定時制高校の教諭である。おそらく、生徒さん相手に「ものを考える」訓練を徹底的にされているのではないか?この人の語るロゴスは一流だと感じられるのである。

評価は☆☆☆。
文句なし。これだけの内容が、平易な語り口で、読みやすい新書にまとめられたことに感動。
自分に関して言えば、私は基本的に平和主義のつもりである。なぜなら、腰抜けで、自分さえよければ良いという唾棄すべき利己主義者、命さえ助かれば良いという被支配者階層の植民地根性がきっちり染みついているからだ。
で、当然だが、いざという場合には、そんな人間に関して、誰も助力してくれる者はあるまいよ。一巻のオシマイだろう。え、それじゃどうすりゃいいの?ホントに困りました。。。
平和主義者も、好戦論者(笑)も、等しく、公正な心で(そんなものあり得ないとしても)読んでみてもらいたい。読み終わって「え。。。。」と思って、思わず再読する。
間違いなく、大推薦の書であります。