Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

スキヤ橋の風景

なにしろ田舎で育ったから、上京して見るものすべてが珍しかった。
電車だって、初めて東京で乗った。故郷では非電化だったので(今でもそうだ)ディーゼル車ばかり走っていた。電車の快適なことには心底驚いたものだ。

新宿の高層ビルを見て、怖ろしさを覚えた。なんというか、全く自然に反した建物だった。よく考えてみれば、故郷では県庁が一番高い建物で、それだって大した高さはないのである。たぶん、10階もないんじゃないかと思う。

銀座に大学の先輩と行ったら、スキヤ橋で大日本愛国党赤尾敏氏(故人)が演説していた。あの当時は名物で、毎週日曜日にやっていたように思う。折しも湾岸戦争前で、赤尾氏はフセインのことを「アラビアの盗賊」と呼び痛罵していた。
ちょっと疑問に思ったもので、その大学の先輩に聴いたことがある。彼は、ワケのわからん事には実に博学であった。私が個人的に大尊敬している人物である。

私「愛国党は右翼なんだよね?」
先輩「むろん」
私「そうすると、日本はアメリカにやられたわけで、鬼畜米英、隠忍自重、臥薪嘗胆、いつか仇をとってやる、、、とならないのかな?」
先輩「うむ、それは、愛国党は基本的に親米だからだ」
そこで、先輩はニタリと笑った。
「あのな、日本は神国である、というのが右翼の基本思想だ。」
私「そりゃ知ってるけど」
先輩「するとだ、なんと神国なのに、アメリカさんに負けました、となる。それはまずい」
私「なるほど。で?」
先輩「解釈は一つ。つまり、アメリカとの戦争は、八百万神の意志に背くものだった、だから神国日本は負けた、と。愛国党は太平洋戦争を間違いだったと言っている」
私「へー!」
先輩「な。アメリカと仲良くするのは八百万神の意志。だから親米右翼だな」

私はやたら感心した。たしかにそうでなければ、神国思想が破綻してしまうではないか。つまり、どんなに牽強付会なリクツであろうとも、少なくともちゃんと一貫性はあるわけだ。
先輩は付言した。
「ま、赤尾はもともと左翼だからな。アタマはいい。案外、理論的なんだ」

このときに感じたことは、つまり、歴史の解釈が思想だということだった。当時の日本の戦いのことは、同時代の人間にだって把握しきれたわけでなく、まして後世の我々はそうである。また、アメリカ人にも「なんの為に日本と戦ったのか?」と疑問に思う人も少なくないようだ。冷静に考えてみれば、アメリカは得などしていないのだから。まあ、原爆を落として、しばらくは他国を脅しつけたことくらいのものである。

後世の人間が考えることには意図がある。赤尾氏には意図があったから、そのように歴史を解釈したわけである。その意図のありようが思想であって、歴史の解釈は、思想の表現形であるだろう。つまり、思想が異なれば、歴史解釈は異なるということである。

今、歴史認識を政治問題にしょうという動きが見られる。(中共が言い出したことのように思う)
私は、かつての赤尾氏のスキヤ橋の風景を思い出す。
歴史認識とは、つまり、思想である。歴史認識を政治問題にすることは「この思想は政治的に○」「あの思想は政治的に×」と採点しようという話に他ならぬはずであろう。
我々は、そうでない世の中をつくろうとしてきたのではなかったのか。誰の思想も、誰によってでも、○や×をつけない世の中である。それこそが大切な価値であり、そのために生ずる支障はあえて問題にするまい、それを言えば人の争いの絶えることはない、そういう考えが基本にありはしなかったのか?

あのスキヤ橋の光景ですら、それを面白いもののように見守る人々がいて、ちゃんと風景になっていた。赤尾氏が異質であろうと、彼がそこに存在し、主張することを許す空間が銀座にキチンとあったのだ。
私が「東京は、なかなか懐の深い町だ」と思い、東京に住み続けたいと思ったきっかけは、あのスキヤ橋の風景にあるような気がする。