Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

究極の選択

少し前に、究極の選択というクイズ(?)が流行った。
「美人のオカマとブスの女子、どちらと付き合うか?」というようなものだった。普通に考えれば「どっちもイヤ」なのだが、このクイズの味噌は「必ずどちらかを選ばなければならない」という理不尽なルールなのだった。

そして、今や、国家レベルの「究極の選択クイズ」が行われているのだった。
「官僚政治を続けるのと、バラマキを続けるのと、どちらが良いでしょう?」
どっちもイヤだと言いたいのだが、どちらかを選ばなければならんのだった。つまり、菅対小沢なのだった(泣)

もともと市民運動からたたき上げた菅氏だが、その実は、政治権力を握るのには、地盤看板カバンがない状態だと、それがもっとも合理的だからだった。私が見るところ、菅氏は、現実主義者であり、風向きに敏感な風見鶏であって、原則のないバルカン政治家なのだ。いわば、信念がないのが信条だから、首相になった途端に「現実路線」になった。それは良いのだが、その現実路線は、財務官僚の言うがままであって、自民党の時よりも改革が後退しているという有様なのである。
今の首相という立場の「現実」に、菅氏がすんなりと適応(もしくは迎合)した結果なのだ。

一方の小沢氏は、民主党の政権奪取時のマニュフェストにこだわる原理主義である。政治は、ある意味で理想を追求するものだし、ましてマニュフェストを掲げて政権をとった以上、それにこだわるのはスジ論としては極めて正しい。問題は、その中身が「ひどいバラマキ」であることだった。
財源もないのに、子ども手当に農家の戸別所得保障で、実に16兆円の支出増加はできるわけがないのである。しかし、小沢氏は「特別会計を含む予算の抜本的見直し」で可能だと主張する。
小沢氏の主張通りならば、これはまさに「政治主導」「脱官僚」である。しかし、その結末は「政治主導のバラマキ」なのだった。官僚主導のバラマキから、政治主導のバラマキへ(泣)。失敗すれば、国家そのものが立ちいかなくなる大手術となる。ひどく分の悪い賭である。
ただ、救いは、目先の景気刺激を考えると、バラマキ宣言の小沢氏のほうが、短期的には正解だろうと思えることである。長期的に考えると、さらに悪しき前例を積み上げて、国家の寿命をさらに縮めてしまうと言える。
なにしろ、役人は、去年と同じことがしたい生き物である。

もっとも、どうせ放置すれば我が国はどのみちご臨終である。ならば、いちかばちかの大手術するしかないじゃん、と考えれば小沢氏だし、いや待て、やるには今は時期が悪い、もうちょっと容態の良くなってからと考えれば菅氏となる。どちらにしても、あまり楽しい選択ではない。

本日、振興銀行がついに破たんし、初めてペイオフの発動となった。
といっても振興銀行の預金量は信金クラスでしかないので、マーケットへの影響はない。金融庁にしてみれば、今後のことも考えて、格好のリトマス試験紙かもしれない。ペイオフで1000万円をこえる元金はまるごとロスカットされる。

我が国の財政状態について、たとえば「国債はほとんど国内消化であるから、問題がない」という意見がある。本気だろうかと思うのは、この振興銀行と同じ結末だからである。つまり、国債を買っているのは、ほとんど日本の国内銀行と生損保、郵貯だから、国債の償還が不可能になれば、それは銀行の預金の破たんにそのままつながる。「日本の財政は、いざとなれば日本人が預金を引き出せないだけだから、問題ない」と言っているのだ。誰が問題ないのか?それは言うまでもないが「外国」である。日本人は、貸したカネを返してもらえないか、あるいは重税にするか、どちらかしかないのである。

それがわかっていれば、安易なバラマキには賛成しかねる。かといって、菅氏のように景気無策であれば、国民生活はもっとひどくなる。
経済には正解がないから、ひどく悩むわけだが、我が国の場合はそれに加えて財政が悪く、かつ低金利で、金融政策の自由度もない。カードがないのに戦えと言われても、どんな名人でも厳しい。

厳しい状況の下での「究極の選択」である。
もりあがらないのも、むべなるかな。