Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

獄窓記

「獄窓記」山本譲司

著者は元国会議員であり、二期目のさなかに「秘書給与詐欺事件」で1審で有罪実刑判決を受け、そのまま控訴せずに服役した。
民主党の初の除名者である。
その著者の体験記が本書である。

まず秘書給与詐欺事件であるが、彼はもともと菅直人議員の公設秘書であった。
政治家の公設秘書は、国から給与が支給されるのであるが、その秘書の「名義貸し」行為は、多くの国会議員で暗黙の裡に行われてきた悪習である。
本人には5万円程度の謝礼を払って、残額を事務所の経費にしてしまうのである。もちろん、これは立派な違法行為である。
本書にも述べられているが、菅直人をはじめとする市民派議員には、ほとんど財政的なバックがない。
しかし、現実に政治にはカネがかかる。私設秘書数名の給与を、どうやって支払うのか?ということである。
それで、いわば「便法」として、この手法は使われてきたのである。
「なんで、俺だけが?」と著者が思ったとしても、無理もないことである。

事件が報道されると、マスコミは一斉に面白おかしく報道を始めた。流用された給与がカツラ代などに私的に流用された、などとゴシップ記事にして報道したのである。
もちろん、事実無根である。
しかし、マスコミが騒げば、検察にとってこれ以上のターゲットはない。山本議員は、誰もが「せいぜい在宅起訴」だと考えていたところ、ある日突然逮捕。
そして、おおかたの執行猶予判決の予想を超えた実刑判決を受ける。
(余談だが、その後の田中真紀子土井たか子、辻本清美らのケースに比較して、この量刑は重すぎる。裁判長は何を考えていたのか)

周囲は山本元議員に控訴をすすめるが(彼は事件発覚後、議員辞職)、あえてそこで実刑を受けることを選択する。保釈中であっても、判決がどうなるかわからないままでは、先のある活動はできない。
それなら、いっそ早めに実刑を、と考えたのである。賢明であるが、やや早まったと、思えなくもないところではある。

そこで彼は刑務所の中を、身をもって体験することになる。
昨日までセンセイ、センセイと呼ばれていた人間が、ある日突然番号で呼ばれ、看守のことをセンセイと呼ばなければならない生活になる。反抗的な態度を見せれば、ただちに懲罰である。
看守の中には、人情派もいるのだが、嫌なやつ、理不尽なやつも山ほどいる。(実社会と同じである)。
そこを耐えねばならない。
人権無視の横暴がまかり通る環境の中で苦しみながら、著者は気づく。「刑務所は、そもそも人工的に苦痛を与える場所なのだ」。

やがて、彼は寮内工場に配属になる。(たしか、ホリエモンもここだったはずである)
寮内工場は、普通の向上で役務ができない受刑者のための工場である。そこでの著者の体験は、すさまじいの一言。
精神障碍者、痴呆症、肢体不自由、その他の障碍者たちの工場では、まともな製品は作られていない。
渡される材料は、そのまま工場裏でばらされて、翌日ふたたび工場に配布される。どのみち、まともな製品は出来ないのである。
奇声を上げる者、突然暴れだす者、涎を垂れ流して寝る者。失禁や脱糞は日常の光景である。
そこを、著者らの指導係が走り回るということになる。食事もトイレも、まともに出来ないのである。
風呂に入れてやれば、気持ちよさでしばしば、浴槽内で脱糞してしまう。皆に謝りながらそれを取り除き、その後の一般囚人の入浴に備えるわけである。

著者は、国会議員として、多少の厚生に関する知識があったが、いかに現実を知らなかったかに打ちのめされる。と同時に、そこに人生の目的を見つける。
刑務所が、実際には介護施設化しているという現実である。
彼らに必要なのは、罰や矯正ではなくて、介護であり治療であり、その能力がある者には自立支援なのである。

やがて、仮出所の日を迎える。彼は、刑務所に「お世話になりました」と頭を下げて、次の人生に歩みだした。


評価は☆☆☆。
素直に、感動した。言い訳がましいと、本書の端々を批判する人はいようと思う。しかし、それは間違いである。

刑というのは、社会と個人の和解行為である。ある行為が、犯罪とされた。
それを認めて刑に服するというのは、社会と和解したということなので、それが大事である。
他人の人格の改造をできなかったという理由で本書をあげつらう人は、自分が(社会が、というスタンスをとっているが、多くの場合は偽装である)他人の人格を批判し得るという間違った前提に立っている。
人格の批判をすることは、誰にもできない。罪という行為を責めることはできるが、それは刑でという形で、社会との和解ができたことである。それ以上の口出しは、おかしなことである。

著者は、出所後、矯正と介護の問題で、精力的に活動している。
さらに、明治以来、百年もそのままだった監獄法の改正(刑事施設法)にも活動成果があった。日本国憲法なんぞのもんじゃい、みたいな監獄が、少しばかりマシになったのである。

惜しむらくは、著者がもう二度と政治の世界には戻らない、と公言していることだ。
本当は、かつての山本議員よりも、今の山本氏のほうが、はるかに国会議員にふさわしいのだ。

国会議員も、その多くが2世、3世の議員になってしまっている。
選挙区は地方にあるが、実際には東京の自宅に育つ。ほんとは選挙区のことなど、ろくに知りもしないのである。
それで、議員同士が慶応の学友だったり、先輩後輩だったりするのだ。
それはそれで、政界での人脈という意味では、有用なのである。人間の能力のうち、8割は金と人脈である。両方あるんだから、それは強い。
あとで派閥をつくって、やがてはトップを目指すわけだから。
しかし、議員の中に、こういう底辺を知る人がいないと、政治はよくならないのではないか、と思うのである。
監獄法が典型であるが、監獄の中がどうなっていようと、議員の得票には関係ないし、興味を持っても利権もない。
だから、百年放りっぱなしだったのだ。
著者のような人が声を上げることで、やっと、少し改善ができたのである。
そういう目配りが出来る人に、本当は議員をやってもらいたいと思うが、、、まあ、今の日本の中では、そういう人は政治家になりたくないんでしょうなあ。。。