Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

マイノリティ・レポート

「マイノリティ・レポート」P・K・ディック。

映画化された作品が有名なのだが、原作はこのP・K・ディックの短編。
例によって、映画は見ていないので、純粋に小説として楽しむ。

未来の世界で、そこでは「犯罪のない社会」が実現している。犯罪者はいて、収容所に入れられているのだが、犯罪はない。
どういうことかというと、事前に犯罪を予知して、犯人を事前に捕まえてしまうので、犯罪はないわけである。
小説は、そのシステムを作り上げた主人公の警察長官のもとに新人が赴任してきて、その時、システムが「警察長官が殺人を犯す」という予告を行ったことで始まる。
長官は、その報告用紙を握りつぶし、ただちに逃亡。
ぐずぐずしていたら、長官本人といえども逮捕、収容所送りになってしまうからだ。
長官は、自分が殺す予定になっている退役軍人の将軍に会いに行く。
将軍はいう。
「これは陰謀だ。あなたのところへやってきた新人は、長官の後任の座を狙って、虚偽の報告を出させた。その手法はわからないが。。。」
という。
事実、長官には、将軍を殺す理由がない。
長官は昔の部下の伝手を使い、システムが予言した殺人事件のほかに、あり得る未来予測(マイノリティ・レポート)があったことを知る。
システムは、複数の予知能力者の意見を総合することになっていて、その仕組みは多数決(多数意見)による。
しかし、多数意見が却下された(長官が殺人を行わない)場合の予言が、少数意見として出されていたことを知ったわけである。
実際に、長官が殺人を犯していないのだから、このマイノリティ・レポートの存在は、長官自身の潔白を証明できるであろう。
長官は、将軍の協力もあり、マイノリティ・レポートを入手する。
将軍はいう。
「このマイノリティ・レポートを公表しよう。君が私を殺すつもりがないことははっきりしている。この予知による管理体制を崩すきっかけになるだろう」
実は、背後に警察と軍の対立があり、将軍は警察の強大な権力を削ぐ目的で、この事件を利用しようとしていた。
そして、長官は、やっと多数意見の真意を悟る。長官は、予知通り、その場で将軍を射殺したのである。。。


映画ではどうなっていたのか知らないが(おそらく、ハリウッド好みの管理社会に対する反乱、という切り口あたりだろうか)この小説のアイディアの本質は、時間旅行のパラドックスである。
過去に時間旅行して、自分の父親を殺したらどうなるか?という有名な矛盾である。
夏への扉」も「バックトゥザフューチャー」もそうだったが、これを解決するには「矛盾自体が、矛盾を解決する要素だった。矛盾も因果律の中に含まれている」とするしか、論理的な帰結はない。
この短編も、まさにそのとおりの展開を示す。
孫悟空のお話と同じで、どんなに主人公がやりたい放題やっても、しょせんは時間という大きなお釈迦様の手のひらの中ですよ、ということだ。
古典的だが、アイディアとしてはすっきりとしている。

評価は☆。まあ、いいんじゃないでしょうか。

ディックは、短編と長編の小説の作り方が、まったく違う。
短編は、意外にもアイディア勝負で、純粋にSF的なエッセンスに満ちている。
当時のディック自身の生活状況を考えると、とにかく量産しなければならない。原稿料がもらえる雑誌をところかまわず、ページ埋めの短編を書きまくっていたわけだ。
これらの作品のアイディアは、やがて有機的に絡み合って、独特のP・K・ディック的な世界観を作り出す。
短編で声価を得たパルプマガジンから、ペーパーバッグへと舞台を移して、これらの長編が書かれることになる。
20世紀後半の文学で(あえてSFという冠をつけなくても)これらのディックの長編は不滅の価値を持っていると思う。

これらの短編集には、SF的なアイディアの鋭い切れ味のほかに、この大作家の苦闘の跡がある、と思う。
実は、小説自体の出来栄えよりも、その苦闘のあとのほうに、余計になんともいえない魅力を感じたりするのである。

言うまでもないが、こんな小説の読み方は邪道である。
私にとって、ディックは、そんな邪道の読み方しかできない作家になってしまった。
ある読書子が「おめえら、ディックなら、なんでもいいのかよ?」と罵声を浴びせたことがある。
その当時は「うーん」と思ってしまったのだが、今は、確信をもって言いたい。
「はい、もちろんです!」なにが悪いのか、と。

ディックって、そういう作家ではないでしょうか。