Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

A氏の事情

どうでもよいのですが、某芸能人A氏が覚せい剤使用の疑いで逮捕拘留され、昨日、嫌疑不十分で不起訴となり釈放。
その理由を、警察は「尿検査の尿が本人のものと特定できなかったため」と発表したようで、そのとおりな報道があふれています。

尿は自宅で採取したようですが、自宅の狭いトイレで「被疑者以外の尿が混入する」わけがないのは、小学生が考えてもわかります。
でも、そのように発表するのは、警察が記者クラブでそう発表したからです。
はい、マスコミなんて、記者クラブ大本営発表をそのまま流せば足りる、お気楽な仕事ですね。

すこし考えますと、警察の発表は「そう検察に言われた」のに、違いありません。警察の不手際だから、検察としては起訴できない、と言われたわけでしょう。
「へいへい、わかりましたよ」
とぶんむくれて、そのまま発表したわけです。
「ええ、どうせ、うちが悪いんでしょ。ふん」

で、どうして検察が起訴できないか。
これは「実務法の問題」になります。
覚せい剤は、必ず「所持」と「使用」がセットで起訴されます。
法律的には、覚せい剤の使用の罪と、所持の罪は別です。「ですから、それぞれ単独に起訴し処罰できる」これは、司法試験なら○。でも、実務法ではバツです。
A氏の自宅からは、覚せい剤が見つからなかった。(警察が見つけられなかった)
すると、公判になった場合、弁護士は必ずこう主張します。
「A氏の尿検査の反応は、検査の手違いか、あるいは警察の捏造である。なぜなら、A氏の自宅から、覚せい剤はみつかっていないではないか。ないものを使うことは、誰にもできない」
検察としては、これは痛い。たしかに、ないものを使うことはできないのです。これだと、裁判長は「疑わしきは罰せず」の原則どおり、無罪を言い渡すでしょうね。
その上で、検察に苦言を呈するはずです。
「現物も見つからないのに、よく起訴したねえ」
下手をすると、公判維持も難しい。

つまり、実務法では、使用と所持はセットなのです。これが、司法試験と違うところですね。
ですから、A氏の自宅から覚せい剤が見つからなかった時点で、ある程度、不起訴の結末は見えたわけです。

で、ここからが深刻な話です。
つまり、私がここでるる述べたようなことは、現場の記者は百も承知だということです。
それでも、そんなことはおくびにも出さず、警察発表どおりを、ただ報道するのです。
よけいな事情を報道して、記者クラブから出入り禁止でもくらった日には、楽してネタにありつけなくなります。
それが嫌なのですね。

この程度のマスコミだってこと。それが、一番深刻な問題なんですなあ。