Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

日本人のための世界史入門

「日本人のための世界史入門」小谷野敦

ようやく地獄の年末進行がおわり、やっと読書が出来る。まずは、気楽な新書から。

この著者はすごく偏屈な切れ者なので、一部には絶賛の好著を連発しているのであるが(笑)、本書もそういう期待から手に取ったものである。
読んだ感想は?というと、ものすごく期待通りである(笑)いや、お世辞抜きにオモシロイのですよ。

まず、巻頭言がおもしろすぎる。
のっけから、かのカール・ポパーを持ち出して
「歴史に法則なんてない。ただの偶然である」
と一刀両断にする。
いうまでもないが、「歴史に法則性を見いだす」とする特定学派(しかも、日本では結構主流になっていたりする)に対する挑発だろう。
(本編になるが、ナチス歴史観が実はヘーゲル的だ、という指摘があって、つまり「歴史に法則を見いだす」ってナチズムとも親戚ですよね?とやる。もうたまんない)
おまけに「民衆史観」というが、そもそも「忠臣蔵」を知らない学生に徳川時代の農民の生活をあれこれ教えてもしょうがないじゃないか、とのたまう。
もはや、抱腹絶倒である。
さらには「昭和戦争の話には飽きた」とトドメをさす。ぐうの音も出ない。まさに快刀乱麻の趣あり。

さらに、「歴史教育ばかりがなぜ詰め込みと言われるのか?英語だって数学だって、最初は詰め込みするしかないではないか。勉強というのはそういうものじゃないか」
「スポーツを厳しく練習するのは良くて、勉強を詰め込みするのがいかん、というのは差別だ」と言いたい放題。
最初はなんだって面白くないぞ、というわけである。

で、以上のような「取説」があって、それから本編が始まる。
であるからして、当然に、詰め込みで面白くない叙述がたんたんと続くのである(爆)。
歴史に法則などないわけだから、すべては「たまたま」で語られる。時折、妙な雑学が混じるのがご愛敬という仕掛けである。
その雑学が鋭いのである。
ときには、まったくとんでもない感想が語られたりする。
たとえば、支那史に関してであるが、横山光輝のマンガ「三国志」はほとんど吉川英治のタネ本を漫画化しただけだとか、同じ横山作品なら「水滸伝」のほうが作者のオリジナル性がある名作だとか。
私も両方読んだので、この感想にはまったく賛同する。

この本は、こういう著者の「感想」を自分なりに楽しめれば、非常に面白い本だと思う。

そういうわけで、評価は☆☆である。
手元において、再読しようと思っている。読んだ本が増えれば、この本もまたさらに楽しくなるであろう。


さて、ついでに。
amazonで本書の書評をみたら、さんざんの☆1つが続出だった。思わず笑ってしまった。
そのほとんどの人が「こんなの、世界史入門じゃない」と言っているのである(笑)。
ご本人がおっしゃっているように、世界史なんて「だいたいでええんや」ということであれば、たしかに本書は「だいたい」なのである。
で、読んで楽しくない人は、その「だいたいの事実」に関連して語られる著者の「感想」とか「雑学」が面白くないのであろう。
私は、面白かったが、そうでない人も世の中には多いのである。
歴史が好きな人には2通りあって、「なぜそのような事が起こったか」を考えるのが好きな人と、「そのときの関連事項」(文学とか音楽とかマンガとか諸々)が好きで、歴史はその補助ガイド的なとらえ方をする人がいる。
おそらく著者は後者で、私も後者なのだと思う。
だって、いくら歴史を研究して「なんでこうなったか?」なんて、神サマじゃあるまいし、いったいどこまで分かるのか?まあ、宗教論争に似た話がえんえんと続くだけではないかと思うのである。
それが楽しいから歴史が楽しい、というのが歴史ファンであろうと思う。
しかし、歴史ファンでない人は、そんなことは考えてもきりがないので、どうでもいいのである。それよりも、自分が読んだ本や演劇、聴いた音楽の時代背景がわかったほうがいい。
そのほうが、作品をより楽しんで、理解できると思うからである。
そういう視点で考えると、世の中の入門書は「さあ、歴史は楽しいですよ、一緒に歴史ファンになりましょう」という内容が多いと思われる。いわば、宗教勧誘に似ているわけだ。
そうでなくて、はじめから「世界史は刺身のツマ」(刺身はほかに持っている)だと考える人むけの入門書は、貴重なものではないだろうかと思う次第。

そういうわけで、本書には、本当は著者の「取説」以外に、出版社による「メタ取説」が必要だったのかもしれませんなあ。