Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

大学の学問について

私が、学問について、はじめて意識したのは大学である。
高等学校は受験勉強でひいひい言うだけで終わった。生意気盛りの高校生だから、それはそれでいいのである。むしろ、ちゃんと悩むべきだと思う。

東京の某私学になんとかもぐり込むことに成功した私は、そこで法学部に通った。
もとより勉強なんぞする気がない。毎日、好きな本を読みゲームに明け暮れる日々、これぞ黄金の日々であった(笑)地方出身の貧乏学生に、華麗な恋愛ゲームなんぞ出来るワケもなく、今思えば、このころから「モテない人生」が既にスタートをきっていたのだなぁ(苦笑)

さて、それがゼミというものに入ってから、ちょっと様相が変わってきたのだった。
私は、どういうものだか「法哲学」なるゼミを選択してしまった。特に考えがあるわけでもない。「法哲学?なんだ、そりゃ?」という感じだった。とりあえず、覗いてみようという程度の考えだった。
当時、学部長であった大橋智之輔教授は、ゼミ面接の際に私に聞かれた「最近、どんな本を読んだかね?」
「ノブム・オルガヌムです」事実であった。
「また古典だが。読もうと思ったきっかけは何故かね?」「帰納的推論、という自然科学においては当たり前の方法が、なんでわざわざ哲学になるのか知りたかったのです」
大橋教授は苦笑された「よし、君は合格だ」

法哲学のゼミは面白かった。正直、なんでこの世に、こんな面白い学問があるのかと思った。
そのときのテーマはナチス・ドイツがワイマール体制からいかにナチス政権に移行するかという法整備を通じての法価値論からの検討が基本だった。大橋教授は、自然法論に対して「実定法論」をすべて総合して対置して考えるという立場をとっていたから、その「実定法論」に大きく幅があって、法価値論の枠からはみ出す議論も多かった。ちょうど、ドイツ語で選択していたテーマも、おなじくワイマール期の文芸評論活動だったから、奇妙にのめり込み、活発な議論をした。

卒業前に、大教室で最後の大橋教授の講義があった。
教授の授業は、彼が絶対「D(いわゆる赤点)」を出さないので有名であったから、人気が高かった。学務部からは文句を言われていたみたいだったが、「哲学に赤点が存在するはずがない」と教授はすましたものだった。
おそらく200人を超える大教室を見回した教授は、「成績でDをつけた者はいない。ひどい者もいるが、それは私の信念である。誰かDはいるか?」と聞かれた。誰もいなかった。
教授は続けた。「しかし、またAもいないはずである。Aはいるか?」
私は、おずおずと手を上げた。「ああ、君か」教授は、私のほうを見ておっしゃった。「君はAで良いのだ。ほかにはいない」
大橋教授は頷かれた。満場の学生が、私を注目し、思わずどぎまぎして下を向いていた。
師に認めていただいた瞬間であり、私にとっては宝物の記憶である。

大橋教授には、そのまま大学院に残らないかとお誘いを頂戴した。
心が動かなかったといえば、ウソになるだろう。教授も学問も、素晴らしく魅力的だった。
しかし、経済的な事情もある。諸事情を思い、私は「やはり就職します」と教授にお伝えした。
「わかった。ところで、もしも困っているなら、紹介しよう。浮き世離れした学問で、大した伝手もないかもしれないが」と教授はおっしゃった。師の思いが、いかに有り難いものか、感じぬわけにはいかなかった。

私はそのとき悟った。
法哲学は、正直、社会に出たところで、そんなに「役に立つ」学問ではない。
しかし、その「役に立たない」学問をする時間が、どんなに貴重で、贅沢で、尊いものだったか。学問とは、そういうものではなかったか、と。
アインシュタイン特殊相対性理論を発表したとき、まさかそれが爆弾になるとは思いもしなかった。その時点では「学問」であった。実際に、核分裂を「役立てよう」とした研究が原爆である。その研究が尊いといえるだろうか?
マルクスが、大英図書館に通いつつ研究したとき、それは学問だったといえる。しかし、それを実際に、世の中に応用した結果が何を招いたか、公平に言って結果は既に出たと言えるだろう。
マルクスは「学問」だったが、あとでマルクスを研究した者は、その理論を「利用」しようとした者である。

もともと、日本では、役に立たない学問、見識を尊う風土があった。
金儲けばかりしている者は、かえって軽蔑されたものである。それよりは、書画骨董にうつつを抜かすほうが、まだ高級だとされたのである。
「道楽」という言葉は、役に立たないものを揶揄する意味があるけど、決して軽蔑ではない。「しょうがねえなぁ」という消極的肯定でもある。「道楽でも、女遊びよりはマシ」としたものだ。

学問は、それを志す者にとって価値が高ければ、それで良いのだ。
それが役に立つか否かという「結果」は、考慮の他というべきである。最初から「結果」を求めるなら、それは「実学」として「学問」と分けて考えるべきではないか、と思うのだ。

(実は人生も同じだったりするのだけど。「結果」は単に「結果」であって、「目的」ではないはず、なんだがなぁ)