Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

戦艦大和 最後の乗組員の遺言

戦艦大和 最後の乗組員の遺言」八杉 康夫。

著者は、沖縄特攻へ赴く戦艦大和の主艦橋に測矩兵として乗り込んだ人である。
著者の経験した戦争を、たんたんとつづった作品。

最近「男たちの大和」という映画が封切られて好評らしい。私は見ていない。戦争映画は、苦手である。スプラッター映画も、ホラー映画も苦手なんである。平和な時代にどっぷりと浸かって育ったので、基本的に腰抜けである。鶏を自分でしめたこともない。かろうじて、魚はさばくが。右手の骨折手術のときは、麻酔があるというのに気分がわるくなったくらいで、実に意気地がない。

だから「戦艦大和ノ最後」(吉田満著)を読んだとき、救命ボートにすがりつく水兵の手を仕官が日本刀で手首からすぱすぱ切り落とした、という記述を読んだときは、腹の底からふるえたものであった。
で、八杉氏は言う。
「そんなことはなかった。救命ボートといっても、海軍の救命は内火艇(ランチ)で行う。吃水が高くて、そんなことにはならない。救助のときにはロープを流してやれと教えられていた。今でも、舟の救難活動はまずロープを流してするはずだ。第一、海軍士官は艦内で日本刀を帯剣していなかった」
それで、八杉氏は吉田氏に電話する。なぜ、偽りを書くのか、と。
吉田氏は「小説である。フィクションだから、ノンフィクションではない」と回答する。「それなら、フィクションだとハッキリ表記したがよかろう」「そうする」ということだったが、結局、再版の際も訂正がされなかった。
また「負けて、新生日本の礎となる」などと演説した仕官もいなかったはずだという。彼の職場は主艦橋だから、この証言の真実性は高い。実際は「必勝の信念で」出撃した、「英米なんぞに負けてたまるか」と思っていたのだそうだ。上層部のことは知らぬ、実際に出撃を命ぜられて「負けに行く」などとバカな思料をするものではない。そして、実際に上官は「どうしたら生き残ることができるか」を徹底して教えた。大和沈没後、一緒に海面を漂っていた上官は、八杉氏をはげまし続け、救助の駆逐艦がやってくると「お前は生き残れ」と言って、手を振って大和が沈んだ地点に向かって泳いでいった、そして波間に消えたという。八杉氏は、どうしてもご遺族に最後の姿をお伝えしたかったのだという。

八杉氏は言う。「戦後になって、よい憲法ができて平和になった、アメリカに作ってもらった憲法だが、当時の日本人ではできなかった立派な憲法だと思う」「平和と言うが、平和と言っていれば平和になると言うものではない、どうしたら平和が守れるのか、よく考えて欲しい」
浅薄な左右対立のイデオロギーなぞ、この言葉の重みの前にはふっとんでしまう。

ただ、戦争をしていても、やはりそこでは人は日々生活し、楽しみもあったということもわかる。何から何まで、ただ一方の見方で語るのは「歴史」であって、つまるところ、その人の「解釈」でしかない。事実がすべてイデオロギーに沿って起きていくわけではないのだ、当たり前だけど。

評価は☆。
貴重な証言である。ただし、文学作品のような薫りはなく、ただ淡々と記述がつづく。それでいいのだと思った。