「うたかたの日々」ボリス・ヴィアン。
パリが舞台の小説であるが、ファンタジーというか、あるいは抒情詩といってもよい作品。パリはあくまで「イメージ」を借りているだけで、今流行の言い方をすれば「異世界」でのオハナシ、であろう。
主人公の若者コランは、財産に恵まれ(両親の描写はなし)友人のシックとともに音楽やダンス、文学の楽しい日々を過ごしている。そんなコランが、美少女のクロエと恋に落ちる。二人はほんとうにピッタリで、やがて結婚する。同じ時期に、友人のシックも恋に落ちた。しかし、彼には金がないので、結婚はできないという。結婚できなくても、二人一緒にいられれれば幸福だという。その話を聞いたコランは、自分の財産の四分の一をシックに贈る。僕は幸い、金があるから、君たちは結婚して幸福になるといいという。
喜んだシックは、そのカネをすべてパルトル(たぶん、サルトルのもじり)の全集やらグッズやらを買うのに費やしてしまう。シックは、パルトルに入れあげているのだ。
そんなとき。クロエが、肺に睡蓮が生える病気になってしまう。コランは愛する妻の病気を治そうと全財産を傾け、さらに足りなくなると嫌々働きに出ることにした。その仕事は、人々にやがて訪れる不幸を告げてまわる仕事で、コランは行く先々で罵倒されてつらい目に会う。そんなコランが、次の配達先をみると、それは自分だった。クロエは明日死ぬ。運命は逃れられず、クロエは亡くなり、コランは一番安い葬儀しか出してやることができなかった。
一方、シックは有り金すべてをパルトルに費やしてしまうので、恋人を幸せにできないと考えて、別れを告げる。別れを告げられた恋人は、パルトルが次の全集を出せばコランが破産してしまうのを知っているため、カフェで執筆中のパルトルを殺し、書店に放火して回る。
その火事の中、シックの家に警察が入る。彼はまったく税金を払っていなかったからだ。脱税の罪で拷問されそうになったシックは抵抗したため、警官隊に撃たれて死ぬ。
コランがかけつけたとき、すでにシックの家は燃えてしまい、残っていたのは恋人の髪の毛が一房だけだった。
あらすじとしては、大してものではないのだが、文の詩的な描写が素晴らしい。ピアノカクテルなるシステムが出てくるが、これはピアノを弾くと、その曲に応じてカクテルが自動的に調製されてでてくる、というもの。装飾音を乗っけると、泡が乗る。
前半のコランとクロエの恋の描写は、それこそカラフルなパレードを思い起こさせるような楽しさに満ちている。それだけに、後半の悲劇との落差が痛切である。
評価は☆☆。
世評の高い作品であるが、納得。
裕福な財産に恵まれ、音楽や文学に明け暮れる生活を楽しむ。まさに高等遊民であるが、そんな生活も、結局は散財のあげくのカネという現実に打ち砕かれるわけだ。こういう展開は、夏目漱石の時代から変わらないわけで、理想が現実によって打ち砕かれるのが文学というものである。
何か思いついて、そいつを商業化したら大当たり、みたいな話は通俗的な成功者の自伝にありがちな話であって、間違っても文学にはならないのだ。だって、人生の苦悩がないもんね。ビジネス上で、売れなくてアレコレ試行錯誤するのは、たいへんな苦労なのであるが、しかし、それは文学上では苦労とみなされないのである。
文学における苦悩と、現実の生活における苦悩には、大きな壁があるわけである。では、その壁の正体は?!
などというと、下手な文学論になってしまうので言わないでおきますが、私が思うにそこが「文学の地平」であろう、と思っております。