Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

人は見た目が9割


大ベストセラーであるけど、なんとなく手が出ず、古本で格安になってから入手。

本書は、ノンバーバルコミュニーケーションを扱っています。なんでもかんでもカタカナにするのはいけない。つまり「非言語」コミュニケーションで、身振り手振り、顔の表情や声の調子など。このブログで文字にできない部分のことだと思えばよいでしょうな。

で、人間のコミュニケーションの重要性で有名な「メラービアンの法則」を取り上げております。
アメリカの心理学者メラービアンが実験をした話で、ある人が話した内容を思い出させるわけ。そうすると、人が他人から受け取る情報の割合は、顔の表情が55%、声の質(高低、大きさ、テンポ)が38%、「話す言葉の内容」が7%であるということです。コミュニケーションの「主役」は言葉でなく、「見た目が九割」であると。ま、簡単にいえば、話の内容は記憶になくて、見た目だけが記憶に残っていた、ってことですねえ。

評価はナシ。
「だからなんだい?」いや、人間見かけじゃないよ、中身だよ、じゃなくて、つまり中身っていうのは言葉だと思いますが、言葉だけではコミュニケーションは成立しないってことで。。。「当たり前じゃん」いや、おっしゃるとおりでございます。。。

ところで、ブログ上での論争というやつは、どうも果てしなく関係悪化する傾向がありますな。政治系などでは(このブログも、そういう分類なのかも。。。)特にそういう傾向があって、コメント欄で不毛な論争をえんえんとやったりして(苦笑)。
あれは、ヒザつき合わせて話していれば、そこまで徹底的に相手の悪罵をいえないだろうって思うのですがね。やっぱり文字だけのコミュニケーションというやつは、不安があるんでしょうなぁ。

*蛇足

もう少し言うと、つまり「自分が間違っていない→相手が間違いだ」という前提で必死に主張するっていうスタンス自体に「間違っちゃいけない」「間違ったら負け」という意識を感じるのですよ。
例;安倍氏の辞任は右派の負け、等(笑)
だけど、そもそも「間違いが少ないほうが勝ち」というのは、人生が○×式試験で、よい点数をとれば勝ち組だという御伽噺の名残なんですかね?不思議な考えだと思いませんか。
40年も生きて、嫁ももらえずに屁理屈ばかりこねている人生は、間違いそのものって気がしますが(苦笑)それでも生きているには違いないので、間違ってはいけないといわれても困ったことですねえ。

いいですか、いったい「誰のために」間違いをしてはいけない、という考えを持つに至ったのでしょうか?もしも「自分のため」というなら、自分が『間違ってもいいや』と思えばオシマイでしょ。
しかも、世の中には、自分では間違っているかどうか、わからない問題が多いのですよ。

自分は間違いが少ないから偉いのだ、という考えも肯定できないし、間違った考えだから反省しろ、も反対ですな。人には、間違った判断をする権利があると思いますね。間違いを攻めると、人は間違いをしたくないと思うようになります。「正しい判断をしよう」という考えは、おのずと「ある方向へ、他人を誘導する」ことが可能になる基礎になります。
そうではなくて、実際には人にできることは、結局「非言語的」も含めて、そこで「判断する」だけなんです。ほかのことはできっこない、そうじゃないですか。
結局、決めなくちゃいけない場面になるんです。
反省するっていうことは、実は「間違いをするな」という強制で、人にはそんなことはできっこないんですよ。そこに残るのは、後知恵という思考の残骸だけで、本当の思考は失われるのであります。

「賢い人たちは、たんと反省するがいい。僕は馬鹿だから、反省なんかしない」(小林秀雄

もっと偉くなりますと「自分は間違っていない、間違っているのは世の中である」と主張し始めます(笑)だけど、同じ間違いでも、こういう間違いは実は嫌いじゃないんだな、実は(笑)

僕は馬鹿なんで、やっぱり反省しません(笑)