自転車で走るといっても、私のような根性ナシがそうそうセンチュリーライドをするわけではない。輪行はたまにやるが、くたびれた時の非常手段である。だいたい、不器用であるから、自転車をバラすのが面倒くさいのだ。組み立てしていると、見物人がよってくるのも苦痛である。「こっちは下手くそなんだ。見ないで~!」と叫びたくなるんである。
そういう私の楽しみは、せいぜい河川敷だの里山の麓程度を「ああ、秋になったな。冬も近いな」などとノンビリ走る程度のものだ。
先日は、可憐な紫の低木を見つけた。素朴な風情が好ましい。まさしく、ムラサキシキブである。ご覧のとおり、紫の小粒の実をつける。もともとムラサキシキミがなまってムラサキシキブになったのだという。
単にシキミは、仏様の香に使う木だが、これの語源は「悪しき実」つまり有毒であることからついた、と物の本で読んだ記憶がある。すると「ムラサキシキミ」がなまった、という説は「ホンマかいな?」と疑問が出る。「シキミ」は「茂実」が語源じゃないので、紫の実をつくさんつける=ムラサキシキミ、という説には疑問を感じるからである。
単にシキミは、仏様の香に使う木だが、これの語源は「悪しき実」つまり有毒であることからついた、と物の本で読んだ記憶がある。すると「ムラサキシキミ」がなまった、という説は「ホンマかいな?」と疑問が出る。「シキミ」は「茂実」が語源じゃないので、紫の実をつくさんつける=ムラサキシキミ、という説には疑問を感じるからである。
などと、どうでもいいことを思いつつ。
紅葉が美しい季節のはずなんだが、なんだか「まばら」な印象だった。武蔵野は、落葉樹ばかりでなく、針葉樹も多いので、単一樹相ではない。だから、まばらになるのだけど、それにしても、、、と思ったのである。やっぱり、温暖化の影響なのかなあ。
秋のムラサキシキブを眺めつつ、ちょっぴりおかしな日本の秋を心配する。
私の自転車は、ま、こういう楽しみ方である。
いつか隠棲したら、ゆっくりと日本の野山を自転車で走る旅をしてみたい、と思う。どうせこれからはガソリンも値上がりする一方なんだろうし、いっそサイクリングブーム再来、なんてならないもんだろうか。気になるものがあればすぐに止まれる自転車のスピードは、実にいいと思うんだけどな。