Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ファンタジーから目が覚めたときに

夢を見て、高所から落っこちる。「うわ~、もうだめだ!」激突の恐怖に全身硬直、そこでハッと目覚めて「夢か。やれやれ、助かった」なんて覚えは、誰にでもあるだろうと思う。
私も、つい先日、そんな目にあった。いや~、こわかったなあ。

で、ここで夢占いをするつもりではない。
そうではなくて、この「ああ、夢か」のおかしさを説明したいと思ったのである。

実は、このような場合、先に筋肉が勝手に痙攣を起こしていることが多いのだそうである。昼間にちょいと頑張りすぎて、就寝しても筋肉はなかなか緊張がほぐれない。眠り込んだ後で、徐々に筋肉の緊張がとけて、そこで一気に脱力、その反動で痙攣を起こす。

すると、脳に「痙攣しました!」と信号がくる。脳はビックリする。「なんで?!俺、そんな指令を出していないよ」しかし、そこで意識が覚醒する。
すると、脳は、あわてて「筋肉が痙攣した」に至るストーリーをつくる。「それは、崖から落ちた夢を見たからです!」ということである。

つまり、現実には
「筋肉の痙攣」→「崖から落ちる夢」→「覚醒」
なのだが、本人としては
「崖から落ちる夢」→「筋肉の痙攣」→「覚醒」
だと思っている。

順番がひっくり返って、本人の意識としては「崖から落ちる夢を見たから」「全身がこわばっているんだ」と思う。事実は逆であって、夢は覚醒の一瞬前に作り出した話にすぎないのである。

このように、脳は「因果関係」を作り出す働きがある。順番をひっくり返してしまう。そうして「原因→結果」をつくる。すると、あたかも、そのような順番で物事が生起したように見える。結果を見て原因をつくったのだから、矛盾がないように思える。破綻なく、きれいに説明がついているように思える。
それは脳のクセで「思える」だけであって、事実とは違う。

まったく無矛盾の論理だとか、歴史の必然だとか。ま、その程度の話は、ほとんどがこの「倒立した因果関係」で出来ている。いくら考えても、矛盾が発見できないから「正しい」と思ってしまう。

1989年のベルリンの壁崩壊と、それにつづくソ連崩壊で、欧州においては「修正資本主義(社会民主主義)」が勢力を持った一方、いわゆる共産勢力はまったく力をなくした。
日本においては「資本主義が、まだ発展段階じゃないのに、共産主義に移行したから」ソ連崩壊したのだという非常にファンタジックな説明を信じている人が多いように思う。日本特有の夢見る理論である。
欧州では、そんな議論は見られない。だって、「下部構造は上部構造を規定する→つまり、下部構造を変えれば上部構造が変わる」が実験の結果「なにも変わらなかった」という結論が出ちゃったから。これは「段階」とも「世界革命」とも関係なく、論理の成立基盤そのものの問題だからだ。
共産主義は「説明する論理」として無矛盾であった。つまり「墜落する夢」と同じだった。説明は、きちんとできるのだが、単にそれだけのことであった。

それにしても。日本人だけが(それも、かつての全共闘世代に多いと思うが)どうしてこのようなファンタジーを持ち続けていられるのか。その点は、大変興味深いと思う。

マルクス主義学者、岡崎次郎は最期に「マルクスに凭れて60年」という本を残し、妻と二人で西へと旅立つ。時は1984年。日本はバブル経済謳歌し、東西ドイツは刻々と崩壊に向かっていた。誰の目にも明らかであった。岡崎は「マルクスと別れた私は」とハッキリ書き残している。世は、構造主義ポストモダンに移っていた。「マルクスに凭れて」生きてきた著者は、すでに場所を得なくなっていたのだろうか。
そのまま、古来の例にならい「西方へ」旅立つ。東京から西へ、西へ。老妻と旅をする。
そして、岡崎の足取りは、そのままぷつんと途中で途絶える。いまだ、今に至るも誰も知るものがない。
この本を、次はなんとかして読もうと思っている。

悪夢で目覚めた夜中に考えたことである。ふうう。脂汗ですなあ。