Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

戦国繚乱

「戦国繚乱」高橋直樹

戦国時代に題材をとった短編集で、この本には、城井一族、大友二階崩れ、上杉家の御館の乱を描いた作品が収められている。「尼子秘話」でオール読み物新人賞でデビュー以来、周囲の状況に翻弄される人間の哀感を描く著者の短編集である。

3編いずれも秀作であるが、中でも御館の乱を描いた「謙信の影」は出色の出来である。

上杉謙信は、天正六年、厠の中で突然倒れる。ごうごうと、ものすごいいびきをかいた、という。間違いなく、現代でいう脳卒中の症状である。飲酒癖の深い謙信は、つまみを食わずに酒ばかり飲んだ。それが稀代の名将の命を縮めたのであろう。
手取川合戦で柴田勝頼率いる織田軍を一蹴、いよいよ天下取りと思われた矢先のことである。

謙信は「生涯不犯」で独身あるから、子供がいない。そこで、二人の養子をとっていた。景勝と影虎である。困ったことに、どちらを世子とするか、決めないまま倒れてしまった。
そこで、後継争いが謙信の没後、ただちに始まることになった。それが「御館の乱」である。御館とは、謙信を頼って落ち延びてきた上杉憲政のために建てられた館(というより城砦)であり、影虎はここに立てこもった。
機先を制した景勝は、春日山城の本丸に立てこもる。しかし影虎のほうが最初は優勢であり、景勝は窮地に陥る。

影虎は、関東を制圧していた北条氏政の七男と言われており、北条家が援軍に駆けつければ、影虎の勝利は決定的であった。景勝は、これを必死にこらえつつ、起死回生の手をうつ。つまり、北条家と同じく景虎支援のために遠征してきた武田軍を、金を使って調略してしまうのである。
当時、武田勝頼は、長篠合戦で織田に敗れ、必死に軍威を再興する途上であった。つまり、戦費がかさんでいた。そこに、膨大な資金提供を持ちかけたのが景勝であった。
春日山城には、謙信の残した膨大な金があった(おそらく、佐渡の金山から産出したもの。当時の越後は、石高五十六万石程度であるが、佐渡の金と日本海貿易の拠点直江津をおさえることにより、実収百万石と言われる)
また、武田勝頼にしてみれば、もしも越後が影虎のものになった場合、北条と同体となって「北条-上杉連盟」と「織田」の間に挟撃される危険がある。
適当に背後が割れていたほうが、武田にとっては都合がよいのである。
この武田の動きによって、景勝は冬の到来(つまり、北条軍が遠征できない季節となるまで)持ちこたえることができた。
それから、じりじりと景勝は形勢逆転していくのである。

小説では、冒頭に野猿にエサをやる景勝の姿が描かれている。骨肉合い食む後継争いの中で、景勝はだんだんと無口で、果断な決断を示す男になっていく。謀臣の樋口与六(のちの直江兼続)は、甘い景勝を叱りとばし、非情な戦国における怜悧な判断を主君景勝に要求しつづけるのである。
乱が治まり、ラストシーンで、再び野猿と景勝は見えるのだが、もうエサを与えることはしなくなっている。そういう自分が死んだことを景勝は悟る。野猿の群れは、そんな影勝の変化を察知し、静かに去っていく。。。

評価は☆☆。戦国物としては、地味ながら実によい出来だと思うのだがどうだろうか。

高橋直樹氏は、デビュー前は、ある東京の特殊法人に勤務していた。彼は、5時で帰れる職場として、そこを選んだのだった。
中小企業の求人ポスター撮影などしており、当時はあまり知名度の無かった高田万由子などを起用して喜んでいましたなあ。
休みの日は、資料を渉猟し、また戦国の史跡をめぐっておられた。
たしか、オール読み物新人賞で1回佳作をとり、その翌年に「尼子秘話」で受賞連絡を待っていた。「とれると思うんですが」と語っておられた。
ついに受賞し、これからは執筆生活でがんばると宣言して職場を辞された。
今から15年ほども昔のことになるだろうか。懐かしい思い出である。

今や、立派な歴史物の書き手になられた。心の底から喜んでいる次第である。