Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

下駄が脱げたか

道走りさんの「苛立ち」は、私も理解できる。ちょっと、考えてみたい。

まず、前提として指摘しておきたいのは「今の日本は、世界で見れば全く格差社会ではない」という事実である。2007年6月20日付け日経朝刊の記事にある経済協力開発機構OECD)2007年版雇用アウトルック発表によると、日本は欧米に比べると格差が広がっていない、という結論になっている。なぜかというと、上位10%と下位10%の当初収入の格差は3.12倍で、10年前でも同格差は3.00倍であるから、そんなに広がってないという話になる。
このあたりの統計というのは、かなり政治的意思であやしい世界でもあるのだが、OECDでなく国連の数字を見てみると、、、ウィキペディアがまとめている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%89%80%E5%BE%97%E6%A0%BC%E5%B7%AE%E9%A0%86%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
同じく、上下10%の差をとって

日本 4.5
ドイツ 6.9
フランス 9.1
米国 15.9
スウェーデン 6.2

まあ、こんなもんである。日本が格差社会ならば、倍のフランスは「超格差社会」3倍の米国は「地獄のほうが近い」スウェーデンやドイツも日本の1.5倍も格差があり「謝罪と反省を求める」ことが妥当だ(苦笑)。
ちなみに、日本の世帯平均収入は580万円であって、世界の中では恵まれている。「世界の中で、日本は格差が少なくて、収入も多い」これが事実である。
ただ、問題は、世帯平均収入が下がり続けていることだ。

一方で、ご存じのように、中国やアフリカ、ロシアの労働者の収入は伸びが大きい。これらの国々の人々の賃金がいかに安かったか、皆さんおわかりであろう。
世界に目を向けると、国家間の賃金の不平等は「是正に向かっている」のが実態である。

ならば、と問う。「もしも、国家間の賃金格差が解消に向かうならば、賃金が高い日本のような国の賃金はどうなると思いますか?」
回答は、皆さんが思いついた通りである。

このような現象は「自由な資本の移動」が生み出したものだ。

かつて、日本の会社は「高内部留保」「高労働分配率」が特徴であった。逆にいえば、収益力に比較して配当性向が低く、株価も安くならざるを得ない。これを支えたのは、企業と銀行の株の「持ち合い」であった。
しかし、バブル経済が崩壊し、BIS規制にひっかかる銀行は、日本株保有し続けることが難しくなった。BIS規制にひっかかると、外貨決済ができなくなる。そのまま、国際市場から退場するほかなくなり、輸出企業取引を失う。株の持ち合いを解消し、放出した株を外資が買った。
そうなると、今までのような経営はできない。必然的に、配当性向も国際市場に合わせなければならない。できなければ株価が下落し、経営陣が交代するだけの話である。

今、松下を除いて、ソニーもホンダもトヨタも、国内市場で利益はない。みんな外国で利益を上げている。その割には、これら企業の従業員は恵まれているというべきである。
一方、内需中心の企業の業績はデフレで後退する一方である。
問題は、これら「輸出産業」と「内需産業」の格差拡大、二極化なのである。企業が儲けて個人は貧乏なのではない。企業間格差が構造的に開いている、ここである。

もっと言えば。
かつて「冷戦」の時代、米国は軍事生産に傾斜し、そのぶん民生品生産を請け負ったのが日本である。共産圏は計画経済によるブロック化をやって、自由貿易に参加しないという愚策を行った。だから、日本は大いに躍進したのである。
今や、世界の壁はこわれ、今まで疎外されていたプレーヤーが戻ってきた。つまり、日本の下駄が脱げたのである。「昔はよく、今は悪い」のではない。「昔は恵まれすぎ、今はあたりまえ」である。

当たり前で、やっていけるようにならなければ、やっていけないなりの結果を享受するほかはない。
かつての日本が「実力」で、今の日本は「アメリカの謀略でひどいめに会っている」という考えは、間違っている。あえていえば「かつてのほうが間違っている」。
日本の繁栄は、共産主義の壁の向こうで低賃金にあえぐ他国民があってこそ、間接的に享受できたものにすぎないのではないか。
その証拠に、中国も、ロシアも、東欧も、アフリカすら、米国を非難しない。彼らは、豊かになりつつある。

日本はどうするべきか。

再度指摘するが、世帯平均年収580万円もあって、貧しいということはない。このお金を、健全に国内市場で回していければ、それだけで日本人はかなり幸福に暮らしていけるはずだ。

国の一般会計は80兆円だが、特別会計は200兆円ある。80兆円の母屋でかゆをすすっているのに、特別会計の200兆円が隣の納屋ですき焼きを食っている。小泉内閣で塩川財務相が指摘したとおりだ。
今回、道路特定財源で、はじめて200兆円の一端が飛び出た。それだけで、こんなに大騒ぎになっている。
考えてみて欲しいのだが、新しい道路をつくって、その道路が果たして今後の人口減少社会で新たな経済を生むだろうか?あるいは、地域を再生させる地産地消に、高速道路は役立つだろうか?
再生産しないものに資本投下すれば、その見えない損失は国民にかかる。
そんな金なら、国民に帰してしまえばいいのである。

あとで「あのとき改革をしておけば」と思っても遅い。
改革の失敗ではなくて、むしろ「今ぐらいで腰が引けてどうする」である。
本当の勝負はこれからである。どれだけ民に金をもどし、その金がまわるようにするか?デフレ脱却については、国際市場の変化が追い風になっている。

つまり、もうちょっと踏ん張れば、出口は見えるはずなのだ。