Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

守護者(キーパー)

「守護者」(キーパー) グレッグ・ルッカ

アメリカで人工妊娠中絶が政治的にたいへんデリケートな問題になっていることは知ってはいたが、本書を読めば、そのリアルな雰囲気が伝わってくる。
日本では当然のように行われている処置であるが、アメリカにおける「キリスト教保守派」と呼ばれる人々にとっては、これは「殺人という罪」である。
しかも、彼らの主張は決して少数派ではないようだ。「人の生命は神のもの」という倫理観自体は、たとえば死刑廃止や救貧活動、あるいはヒトクローンに対する反対運動など、大いに市民から支持が得られる政治的な主張であろう。その流れの中でいえば、「人工妊娠中絶は、殺人である。人間の生命を左右できるのは神だけだ」という主張だって、有る程度の広範な支持を取り付けたっておかしくはない。

本書の冒頭で、主人公コディアックは、恋人を病院に連れて行く。中絶のためである。病院の前には、中絶反対派がプラカードを掲げて林立している。「あなたの子供を殺すべきではない」などと書いてあるわけだ。
主人公の職業は、ボディガードである。病院の女医は、有名な中絶賛成派であり、ダウン症の子供を育てながら働いている。
そして、この問題を巡って、双方の主張を聞くための大きな会合が予定されており、その会合の冒頭で女医はスピーチを行うことになっているのだ。その女医のもとには、毎日おそろしい脅迫状が舞い込んでいる。
そこで、女医は、主人公に、自分と娘の警護を、会議の日まで依頼するのである。
主人公は了承し、仲間を集めて、彼ら二人を24時間警護する。しかし、ある日。ついに、彼女の娘は、狙撃者の凶弾によって、命を絶たれてしまうのだ。
警護チームは、大変な悲嘆に包まれるのだが、しかし、会議の日程は迫っている。女医は、なくなった子供のためにも、死んでも会議に出席すると宣言する。
いったんは会議への出席を取りやめなければ、警護の万全を期することはできない、としていた主人公も、女医の言葉を受け入れる。かくして、さらに身体を張った警備が続くのだ。
その一方、暗殺者は、いよいよ女医を殺すと脅迫してきた。
事件の黒幕と思われていたキリスト教保守派のテレビ牧師(だと思う)の男も殺害され、いよいよ事件の犯人が浮かび上がる。
そして、ついに会議の日になる。感動的なスピーチを行った女医は、賛成反対の両派から惜しみない賛辞を受けるのだが、そのとき、ついに犯人が襲ってきた。
警護チームは、女医を守るために。。。

評価は☆☆。著者が26歳のときの作品だそうで、若書きらしい荒削りなところはあるものの、スピーディで緊張感あふれる展開と、心をうつセリフの数々がちりばめられており、正直うならされる。
こんな作家がぽろぽろ出てくるので、アメリカの小説というやつは、まったく油断がならないわけである。

ところで、日本の年間の出生数は、ピーク時には年間200万人くらいあったと思うが、現在は少子化がすすみ、だいたい110万人程度である。
一方、人口妊娠中絶はおよそ30万件である。単純に、妊娠した胎児の4~5人に一人が中絶、という中絶大国なのである。
おそらく、江戸時代から「間引き」などの慣習があり、あまり歴史的に中絶に罪悪感がないというか、あくまで母親の付属物という観念が強いのだろうかと思う。
もっとも、江戸時代の人口調節機能には「間引き」のほかに「姥捨て」が代表なわけだが、現在では「姥捨て」は悪の代表のような言い方をされる。後期高齢者制度など「これは現代の姥捨てではありませんか」とテレビのアナウンサーが言うとき、あまり誉めているとは思われない(苦笑)
一方では、人工妊娠中絶に対しては「これは、現代の間引きではありませんか」とは言わない。これこそ、そのものであって、後期高齢者医療制度の喩えよりも、よほどピッタリしているのだが。。。
女性の「生む権利」は尊重されなばならないとは思うが、その「生む」原因を作ったのは、だいたい男女平等であって(笑)しかしながら結果においては女性側の意見を優先することになっている。レディファーストである。
ま、それは良いのだが、こんなことを考え出すと、人権というものが基本的に宗教的情熱に起因するものだと認めないわけにもいかないように思う。
そこまで深く考えないで、適当に流して生きている日本人って、ホントにすごいのだなあ、と妙に感心するのである。

だけど。。。やっぱり自分の彼女が、過去に中絶していたと知ったら、大多数の男はショックを受けるような気がするなあ。そういうことは、黙っておいたほうが良さそうで。
人間、なんでも素直が一番、などと言えないケースもあるような。。。ううむ。。。